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漢方の風 44号 動的平衡

2020-09-11

漢方の風…生物学者・福岡伸一先生の「NHK最後の講義」より


ひざ痛・偏頭痛の「動的平衡」的漢方治療。
膝の痛みを診て膝だけを見ては駄目。
偏頭痛は頭蓋内だけを見ては駄目。…生命は流れである。

なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)


中学の理科だったか高校の生物の授業だったかで顕微鏡を発明した人はフックであると習いましたが、先頃、NHKで放映された生物学者、福岡伸一先生の“最後の講義”で、フックはアントニ・レーウェンフックが正式の名前だと知り、日本の江戸時代の初め頃にオランダで生まれ、約300倍の倍率を実現していた事を知りました。彼は学者では無く、アマチュアであったにも拘わらず、偉業を為したとの事。それは動物の精子を発見し、血液の中には粒子が流れている事、又、人体は細胞というユニットで出来ている事を発見したのである。

大学の一回生の薬用植物学での葉の構造の実験で顕微鏡を用いて、柵状組織や気孔をスケッチ(書きうつし)した時の倍増も300~500倍だった様に思います。

因みに福岡先生は幼少の頃、両親に買ってもらった顕微鏡で蝶の羽の鮮やかな鱗粉を見た時の感動(モザイク状の色鮮やかな別世界が広がっていた)が生物学に進んだきっかけだったそうです。

その講義の中で先生は自説の動的平衡を解りやすく説明されておられます。

70年ほど前、ドイツ生まれのアメリカの生化学者ルドルフ・シェーンハイマーは『生命は機械ではない、生命は流れである』…と唱えた。毎日、口から摂取する食べ物は全て燃えて、エネルギー化した後の残り糟が翌日、便となって出ているのではなく、その摂取した成分の半分以上は体の部分と入れ替わり、入れ替わった体の古い物質が便となって出ている事を同位体を用いて(マーキングして)発見したのである。つまり、1年前の身体は全て新しく入れ替わっている事を突き止めたのである。そこで、彼は前出の「生命は機械ではない、生命は流れである」…と言ったのである。


福岡先生は鼻の移植手術を例にとって説明された。鼻のどの部分迄を切り取って移植するかを考えた時、それは難しい。鼻の奥の嗅覚上皮細胞まで移植しょうとすると嗅覚上皮細胞は脳に繋がっており、脳迄をも移植するのか、となるのである。つまり鼻という機能を取り外して移植することは出来ない。結局、体全体を持って来ないと駄目なのである。生命体は全体のどの部分も繋がって居り、流れていて、鼻も生命体全体の一部に過ぎないのである。

例えば、膝は生命の流れの中に有り個別的ではなく、全身の一部である。膝の痛みを治療する時はその人の生命体を見なければならないし、滋賀県、日本、地球と言った広義の生命体を見なければならないと言う事になる。日本は四季があり梅雨がある。梅雨があれば人体は湿の邪で襲われる事になる。(例えば、乾燥したビスケットは湿気のある状況下では湿気てしまいます。実は人体も同じで湿に攻められているのである)。湿邪(しつじゃ)は取り分け脾胃を一番侵襲し易い。その結果、軟骨物質の吸収が悪くなり膝軟骨の生合成が充分出来なくなり膝痛が発生する。単にひざ痛を見てグルコサミンやコンドロイチンを投与すれば良いのではない。ましてや、貼り薬やNSAIDの内服も痛み止めに過ぎず根治は出来ない。

更に、ひざ痛は湿邪の他に、生体内で軟骨の生合成が充分でない腎虚(先天性や運動不足、房室の不摂生、食事の不摂生)も想定しなければならない、又、肝と腎の五行論の母子関係も考慮しなければならない。更に、痛みの他に水が溜まっている場合は水抜き漢方処方の何れかを併用して治療しなければなりません。


偏頭痛は脳内の血管が拡張して周辺の神経を刺激するから頭痛発作が起こるとされており(反対に収縮しての頭痛もあります)、拡張している血管を収縮すれば痛みが和らぐと考える事は至極当然である。が、しかし生命は流れており、自然界の流れの中に生命体があり、脳神経が有り、脳内の血管があるのであって決して静的機械的物質の一部ではないのである。

脳血管拡張は生体内の流れの問題、つまり胃が冷えていたり、消化管に水が溜まって居たり、又、ある人は腹腔内に血毒があったり、肝の気に問題があったりが原因で、それらの生命の流れの異常を是正する事を顧慮しなければ治療にならない。更に地球と言う生命体の観点からは自然界の流れ、即ち低気圧、電磁波も影響するのである。漢方医学では狭義の、更に広義の生命の流れを弁証して治療する事が何よりも大切である。決して画一的治療では有りません。患者様の生活様式もさることながら住居の周囲の環境(田圃、池、川、木々)も考慮して治療するのである。


福岡伸一先生は最後の講義の中でノーベル物理学賞の朝永振一郎先生の[滞独日記]の一節を説明されておられます。

機械論的な自然と言うのは、自然をたわめた作り物だ。
一度この作り物を通って、それから又、自然に戻るのが
学問の本質そのものだろう。
活動写真で運動を見る方法がつまり学問の方法だろう。無限の連続を有限のコマにかたづけてしまう。
しかし、絵描き(画家)はもっと他の方法で運動をあらわしている

…福岡先生はフェルメールは真珠の耳飾りの少女の作品でそれ迄とこれからの動きを表現していると説明されている。

そこで、福岡先生は

機械論的な生命観は、生命をたわめた作り物だ。
一度この作り物を通って、動的平衡な生命観に戻るのが
学問の本質そのものだろう

…と言って居られます。


医学はエビデンスの上に成り立っており、エビデンスは機械論的であるがゆえに秀才型の標準医療になってしまう。良い治療者になるには患者さんの動的平衡を考慮した医療を目指すべきであると話されました。

上述のひざ痛と偏頭痛の“漢方治療”はフェルメールの真珠の耳飾りの少女の表現と同じで何が原因で痛みが起こったのか(来し方)、そしてその体のひずみを是正するとどの様な過程を通って治癒していくか(未来)を考えたもので動的平衡の考えに近い様に筆者は思える。

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