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漢方の風音 1号 ホリスティック医学(病察医学。局方医学ではない)
バリトン 中川 義雄
平成25年3月7日、ぽかぽか陽気の中、春の到来を感じながら大阪府三島
郡島本町へ向かって車を走らせた。町の老人福祉施策の一環として「漢方薬の現状」についての講演依頼が有ったためである。会場には80名以上の町民が来られていました。筆者は毎月1回、医療関係者向けの漢方講演(びわこ漢方サークル)を行っておりますが、その聴講者の方々に負けず劣らずの熱心さが ひしひしと伝わって来て、漢方薬に対する興味の深さを感じ取りました。日本国民一人一人が近くて遠い漢方薬なるものの本質を知りたがっている事を確信しました。
医療界に於ける現状は、漢方薬を補完医療乃ち代替医療と規定していますが、本当にそれで良いのか、例を挙げて皆さんに問いかけてみた。
そこで、高血圧、耳鳴り、動揺感(地に足がつかない)頭痛、肩こり等の症状を併せ持つ患者さんを例にとり、夫々の処方を比較する事にした。西洋医学では上記の患者さんには概ね「血圧降下剤、筋弛緩剤、ATP、ビタミンB12、血流改善薬」(6剤)が処方されますが、漢方医学では「釣藤散」1剤で全ての症状を取り除いてくれます。その上、自然な眠りの深さも保証してくれます。何故、釣藤散が上記の症状を全て取り除いてくれるかを詳しく説明しましたが、取り分け1つ1つの症状を取り除く「局方医学」ではなく、その人、全体(全身)を診て治す「病察医学」の大切さを説明した。又、釣藤(カギカズラ)の鈎(かぎ、とげ)の所に有効成分(リンコフィリン)が含まれており、熱に弱く煎じる時間を短くする必要があり、他の薬草と同時に煎じると効果が無くなる事もお話しして先人の知恵が科学的であった事も説明した。
講演後漢方薬の作用機序、乃ち気血水(きけつすい)論、陰陽二元論等を考察した弁証論治法を聴講し、感銘を受けたと数名の主催者の方が仰っておられました。
会場では質問も多数あって、総じて漢方薬の素晴らしさを感じていただけた様に思いつつ帰途についた。
話は変わりますが、そのカギカズラの様に~カズラと称する植物に凌霄花(ノウゼンカズラ)が有ります。どちらも蔓性植物なので、蔓のある植物を~カズラと称するのだろう。ハーモニー3月号の塩田先輩の随筆に、その凌霄花の事が書かれて有りましたが、漢薬名では“りょうしょうか”と言います。中国では無月経、月経痛等に紅花、牛膝(いのこづち)、芍薬等と一緒に煎じて使います。寒熱で言えば微寒の性が有り血熱を清ます事から、痒みを伴う湿疹、蕁麻疹にも使用されます。因みに薬用部位は花部である。
大津男声合唱団 Booklet ハーモニー6月号
12号 宮廷女官チャングムの誓いを見終わって(めまい・つわり)
当初、勤務薬剤師のTさんと家内が毎週楽しみにしていた『大長今』(テチャングム)は、私自身全く興味が有りませんでした。ある日、調剤室で、伏竜肝(ぶくりゅうかん)なる漢方薬が話題に上がりました(昨晩の放送で出てきた為)。その事がキッカケで私もその後、『大長今』を見ることになりました。ある漢方メーカーの手帳の小半夏加茯苓湯の効能を見てみますと悪阻(つわり)に効果あり、と記載されています。その小半夏加茯苓湯は、通常の漢方薬とは、煎じ方も服用法も違っています。私が、幼少の頃、生家には、釜戸(おくどさん)があり、その釜戸から屋根を貫いて煙突がそそり立っていた。母親の手伝いをして釜戸に薪(まき)をくべて、ご飯を炊いたりお湯を沸かしたりした思い出があります。その煙突には、煤がたまり煙突掃除屋さんなる職業も有りました。一方、釜戸には、灰土が貯まり、煙突へぬける空気孔が詰まらない様に、時々その灰土を掻き出し掃除をしたものです。その灰土を含んだ釜戸の土が即ち、伏竜肝である。小半夏加茯苓湯は、その伏竜肝を水に浸け、その上澄み液で、半夏、生姜、茯苓を煎じたものが本来の小半夏加茯苓湯であって、メーカーより発売されているエキス剤は、恐らくそうではないと私は思っておりますが…果してどうなのでしょうか。つまり伏竜肝の上澄み液で煎じた小半夏加茯苓湯は釜戸の灰土を含んだ土の成分が大きな役割を果たしているのである。又、一般的な漢方薬の服み方は、煎じた液を3回に分服し、しかも熱いうちに又は温めて服用するのが通例である。この小半夏加茯苓湯は“歩くこと一厘計りにて服用すべし”とあり、約一時間毎に服用し、杯に一杯ずつ、更に、冷まして服用する様に…と口訣に有ります。そのように調剤室でTさん、家内に説明した事がキッカケで、どんな薬草が出てくるか興味を持ったが為に、私もハマッテしまったのである。然しながら、番組が進む内に、脈を診る場面と鍼を打つ場面が多く見られるものの薬草はあまり見られず、特に私が志している日本の漢方とはいささか違っていた。一方東洋医学で最も大切な、全体観つまりホリスティックな東洋的手法は漢方の本質なのだが、その本質は全く同じであった。その本質をチャングムファンが分かってくれると良いのだが…と思っていたのですが、一般の人にとっては、やはり、そこの理解は、少々難解だった様です。
今から数年前エビデンス(根拠に基ずいた医療)に立脚した医療が叫ばれるようになった時、現代医療的感覚が絶対的とされ、漢方薬は、医療ではなく代替医療(Alternative)のカテゴリーに包含されてしまった。その代替医療である漢方薬が難治とされる病気に効果を発揮してくれる事は、何と皮肉な事であろうか。故青木先生から、「科学が迷信か、迷信が科学か、」そこが大切と、荒木正胤先生が、仰っていた…と聞いた事があります。 旧大津市内の年配の女性が、私の所のホームページを見て相談に見えました。主訴は、雲の上を歩くようなメマイである。ある病院でパ○シ○、リ○ゼ、ド○マ○ー○、ハ○シ○ン、メ○ス○ン、セ○ド○ル、イ○バ○ド、が処方されている。約一時間ご相談にのりましたが、一番大切な事は何が原因で現症を呈す様になったかであって、そこの所を考えた時、その患者さんが、如何なる生活をし、何を食し、如何なる環境で過ごして来たか、はたまた、如何なる性格か、間違った健康法を実践していないか、心に痞えているものはないか、更には、如何なる死生観を持っておられるか、等々問診するのである。その患者さんは、胃下垂があり、頭帽感があり、低血圧症で、仕事に、家庭にと一所懸命に働いてきた事等を顧慮して、半夏白朮天麻湯(加味方)の煎じ薬を服用していただいております。 最近になって、びわこ漢方サークルの受講希望者が増えてきました。いま、現在、太陽病下篇を終わろうとしている所ですが、(ここを終えると半分以上終えた事になる。)少しでも多くの方に、漢方を理解して戴きたいと願っております。(ご希望の方は、いつでもご参加下さい。)その為にも、次回の講習会では、少し、最初に戻ってから…と、思っております。
日本の漢方では、『証』を重要視します。証とは一種のカテゴリー分類であり、例えば、皆さんが、一番馴染みのある葛根湯を例に取りますと、脈が浮いており、寒気があり、項の凝りがあり、汗は出ていなくて、体力的には、弱っていなくて、(表実証といいます。慢性病の場合は寒気がない)の体質的カテゴリーの人がいた時、その人の現代医学的病名が何であれ、例えば、“蓄膿”“ニキビ”“下痢”“腰痛”“夜尿症”“リュウマチ”“扁桃腺炎”“蕁麻疹”“結膜炎”“頭痛”“頸肩腕症候群”“皮膚病”“母乳の出が悪い”“鼻炎”…等全て治るのである。最近、あるホームページを見ていたところ、防風通聖散は、決して肥満症の薬ではありません。それは一貫堂医学(明治時代に*森道伯先生が興した漢方理論大綱)がお腹に皮下脂肪がついている『重役腹』…を目標にした事から始まっているからと書いてありました。前回の「漢方塾」でも書きましたが、一貫堂医学では、決して重役腹のみを目標にしている訳ではなく、臓毒証なる『証』を目標にしております。テレビや様々なメディアでやせ薬としての位置付けで、宣伝しておりますが(証が合っていない事が多い為)、効果がない事の方が圧倒的に多く、むしろ、見えない‘害’が忍び寄っている事のほうがあるかもしれない。企業の倫理観が問われます。漢方薬始め医薬品を軽く見ては?大変な事になりますヨ?と言いたい。TVで、ヨーロッパのある国が、インドの綿花地帯で、布製品を(仕上がったショール等は、EU諸国でブランド物として、販売されている。)、劣悪な環境のもと、苛酷な労働を強いて、生産している状況をドキュメント放送しておりましたが、強烈な酸、アルカリの液の中で、素手、素足で仕事をしている人達や、重金属をため池に流し込んでいる場面等を見るにつけ、化学薬品を扱った経験のある者としては、空恐ろしさを感じ、同時に怒りを覚えました。企業の倫理観は、一体何処へ行ってしまったのだろうか。富める者が貧しい人達の犠牲の上に立っているのが、現実であるとナレーションは、結んでいた。この様に、今こそ、グローバルな世界観を持つ事が、大切であり、医療においても、全体的発想(ホリスティック)でなければならないのである。それが故に、なかがわ漢方堂薬局は“人に優しく、自然に溶け込む”を、理念としているのである。 *《森道伯先生:医者でもあり宗教家でもある。禅に参じ、真言に通じられ、霊的感覚を体得された医術家であった、と漢方一貫堂医学(医道の日本社) に書かれている。体質を三大証に分類し漢方治療を実践された。?血証体質、解毒証体質、臓毒証体質がそれである。防風通聖散は臓毒証体質に用いられ、大正から昭和の初期にかけて頻用されたが、最近は用いる機会が少ないと故星野良明先生より教わった。?血証体質には通導散、解毒証体質には柴胡清肝散、荊芥連翹湯、竜胆瀉肝湯を用いる。》
(大津市薬会報 2007年 4月号掲載)
6号 こむら返り
以前入会しておりました、日本漢方協会の季刊誌に、この様な記事がありました。証をきちんととって、漢方薬を服用して頂き、症状が取れた時、その寛解さをきちんと認識して、喜びの表現をされる方と、まちがいなく証をとり、思い描いた通り治療出来たと、こちらが思っていても、漢方薬で治ったとの認識がなく(認識があっても表現しない方もおられるが)、ただ、自然に、勝手に治ったと認識される方と二通りのタイプがある。概ね、前者のタイプは、実証の?血者に多く、後者は、虚証者に多い・・・と。私も全く同感である。治療出来た満足感は、どちらもあるものの、その比はやはり前者の方が強い。その点において、私はまだまだ漢方の世界ではひよこなのかも知れない。 16年前、漢方薬局の看板を揚げた時、ある先生からは、漢方相談を受けた時、その処方が合わなかった時の為に次の処方も考えておきなさい。出来ればその次の処方も考えておきなさいと教えられた事があります。AにしようかBにしようか、それともCにしようかとほとほと迷う事があります。その時点では、Aが良いと思い投薬したものの、患者さんからは、漢方薬は効かない、或いは自分に合わないと言ってそれで終わってしまう事がよくあります。その時点で、元に戻ってよくよく考えた時、Bなる処方の方が間違いなく効いたかも知れないと思い返す事がよくありますが(勿論、問診での一言が足りなかったばっかりにと思うことが多い)、それは最早あとの祭りである。結局その患者さんは漢方を諦め、現代医療に戻ってしまうのである。その時の私の胸中は内心忸怩たるものがある。肌が合う合わない問題なのかそれとも私の不徳の致す所なのかも知れない。出来るだけ1stチョイスでの治癒確率を高めねばと常々思っている。漢方の世界では、その漢方家の持っているレベルの高さに比例して、難易度の高い患者さんがやって来るものである。10年前の治癒確率と現在の治癒確率を比較した時、10年前の方が高かった様に思うのは、その様な理由からであろう。それ故、漢方は、一生涯(半生涯が正しいかも知れない)を費やす事になるのである。 話は変りますが、この8月よりH17年度びわこ漢方サークルを月1回のペースで始めました。傷寒論を最初から最後迄を目ざしております。宜しければ、途中からでもご参加下さい。その傷寒論の太陽病扁に出ている、芍薬甘草湯について書いてみたいと思います。産婦人科の漢方治療なる本を読んで見ると高プロラクチン症に芍薬甘草湯が効果があると書かれている。陰陽虚実、方証相対も何のその、芍薬甘草湯が良いというものである。渡辺武先生の平成薬証論には、芍薬の寒熱度はマイナス1で、「主腹痛」「除血痺」「利小便」とあり弁証の大切さが伺える。効けばそれで良いと言われれば、言葉を返す気はないが、少々荒っぽい気がしてならい。亦、院外処方箋を応需していると、年に1から2回芍薬甘草湯の処方箋が迷い込んでくる事があると思います。大略、腓腹筋の攣縮を目標に処方されている場合が多いと思いますが、その芍薬甘草湯は「傷寒論・弁太陽病脈証并治上第五」にあります。「傷寒、脈浮、自汗出でて、小便数、心煩し、微しく悪寒し、脚攣急す。反って桂枝を与え、其の表を攻めんと欲するは、此れ誤りなり。之を得れば便ち厥し、咽中乾き、煩躁して吐逆する者には、甘草乾姜湯を作りて之を与え、以って其の陽を復す。若し厥愈えて足温なる者は、更に芍薬甘草湯を作りて之を与えて、其の脚即ち伸ぶ。」とあります。要略すると陰陽倶に不足、及ち陽気不足(冷え)があるから小便数であり、陰気不足があるから脚攣急するのであり、陰陽不足する時は、汗を発してはいけない。若し桂枝湯で発汗すると陽気を損ずる事になり、咽が乾いて吐逆したりする。その様な際は、甘草乾姜湯で損った陽気を回復すると良い。さすればそれだけで、足攣急は治る事が多い。それでも治らない時は、芍薬甘草湯を与えると良いと言っており、軽々に芍薬甘草湯を使ってはいけない事を言っているのである。 10年程前になりますが、市薬の新年会だったと思いますが、元大津保健所所長の辻先生に講演をお願いした事があります。先生は、こむら返りを軽く見てはいけない、往々にして痴呆症(今では認知症)の前ぶれになる事があると話され、カルシウム不足がその背景にあると説明されました。※ たかがこむら返り也、芍薬甘草湯を与えれば、それで良いとは傷寒論では言っていない。総合的に判断して、弁証論治すれば、乃ち認知症の予防にもなるし、ADLを高めることにもなるのである。されどこむら返りである。 ※(カルシウム剤の中で一番吸収が良いのは炭酸カルシウムであるとの説明もありました。) (大津市薬会報 2005年10月号掲載)
5号 衆方の祖(西洋医療と漢方の違い・人間へのやさしさ)
漢方薬局を標榜していると様々な相談がある。中でもメディアが放った○○○に効果がある薬草がありますか、と言った内容のものが一番多い。例えば、麻黄が欲しいというものもあった。何の目的に服用するのか尋ねて見ると、痩身の為との事である。
それは、ある週刊誌に書いてあったというもので新陳代謝がよくなり、結果、やせるというものである。麻黄が配剤された代表的処方は、麻黄湯や葛根湯であるが、どちらも実証若しくは中間証に使用するものである。その根拠は、主薬である麻黄に拠る所がある。麻黄を、一味で寒の邪を駆逐出来るものではないがエフェドリンが係っている事は疑いの余地はない。近年、アンフェタミン等の原料としての可能性から、輸出入が問題化している時代背景の時節柄、痩身の為に、単味で煎じて服用すれば良いとは正に言語道断である。
そもそも、漢方という言葉は、中国、朝鮮半島にはなく、日本独自のもので、漢の国(中国)の処方が語源とも言われている。処方とは、様々な薬草の組み合わせであり、単味で使う事は例外(甘草湯等)を除いて、殆どない。びわこ漢方サークルで、桂枝等の説明をしたあと質問がありました。桂枝湯の使い方の説明は訳ったが、結局の所、所詮、経験学であり、根拠のないものではないか?つまり、科学的ではないのではと言った主旨のものであった。
桂枝で血管を拡張し、汗を出させ、気化熱を奪わせて解熱する。つまりNSAIDで発汗解熱すると似たもの考えてよい(体温調節中枢の閾値の低下の結果発汗すると似たもの)。果して、発汗しっぱなしで良いのか?・・・と古代の中国人は考えたのである。そこには、人間の生理機能を深く考えた、妙味があるのである。彼らは、汗をとても大切に考えたのである。人間には、陰なる物質(ここでは血液、リンパ液、組織液、細胞間液等)があって、汗として発散したあとは、当然、陰なる物質は、絶対数が不足するであろう事を予感し、その結果、芍薬、大棗、生姜、甘草が加味されたのである(詳細は省きますが、これらの薬草が陰なる物質の不足を補おうとする)。
漢方は、人にやさしくないと駄目と嘗つての市薬会報で申し述べましたが、NSAIDの様に、発汗しっ放しで良いとは大きな違いがある。芍薬の意義、大棗、生姜、甘草の意義が夫々、存在するのである。汗を発して、それでいて、汗を止める妙味(解肌作用)があるのである。つまり、発汗後のケアー迄も考えているのである。その桂枝湯を応用、変化させて、様々な疾病が治療出来る。その為、日本の古医方家達は、桂枝湯を衆方の祖と言ったのである。
T社の漢方調剤研究3月号に記載してあるコラムをご紹介したく思います。物の数え方というタイトルがついている。羊は一匹二匹・・・、山羊は一頭二頭、蝶々は、ありふれた蝶は一匹二匹、珍重される蝶は一頭二頭と数えるそうである。ある時は大きさを規準に、又ある時は、価値感によって数え方が変わってくる。要するに尺度次第で変わるという事である。東洋医学でいう、陰陽虚実、寒熱といった尺度も絶対的なものではなく、人夫れ夫れなのである。つまり個々人によって尺度は変わるのである。体温計で計って、39度だから、抗生物質なり、解熱鎮痛剤が投与される現代医学とは、尺度が違うのである。
ある人は、壮健な体質だから、強力な発汗剤(例えば大青竜湯)、虚弱体質なら、桂枝二越婢一湯を使う。又同じ人でも、その時の状態によっても、処方が変り得るのである。発熱しているからと言って、水枕で頭なり体幹を冷やすと言った一元的ではないという事である。
ご近所の○○さんが、39度の熱で寒がっているお孫さんを医院へ連れていった時の事である。39度の発熱だから、素肌にして熱を発散させる様に若いドクターに指示をうけたそうです。○○さんは、その若いドクターに、言い放った。この寒空に、発熱していない(寒くない)大人である貴方だって、寒くって素肌になれないだろう・・・と。
西洋医学にも、出来るだけ「個」の医療を取り入れなければならないと思いますが、ガイドラインとの整合性もあり、難しい局面に立っている場面もあり得る事は、想像に難くない。
(大津市薬会報 2005年8月号掲載)