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漢方の風音 3号 漢方薬の発祥

2013-10-03

バリトン 中川 義雄

7月のある日、漢方薬を作っている時に電話がありました。それは私の出身高校の後輩の生徒さんからであった。

学校の設定科目で「探究」に係る学習科目が有り、グループでテーマを設定し、それに仮説を立てた上で、夏休みを利用して探究活動(取材、調査、実験等)を行い、その結果を発表する「課題解決型」の学習活動の一環として、当方を訪問したいと言う内容であった。

その生徒さん達のグループのテーマは「東洋医学と西洋医学の発祥の違いについて」であり、私には漢方薬の発祥について教えて欲しいと言う内容であった。

後輩の学習のお手伝いが出来る事はこの上ない喜びで有り、又微力ではありますが学校に恩返しが出来る喜びも有ります。

1時間の予定が2時間以上も時間を取ってしまい生徒諸君には負担をかけてしまったと後悔しております。そこで、漢方の発祥について書いてみたいと思います。漢方(所謂漢方薬)の医学書として最も古く記されたものは、後漢(AD200年頃・1800年前)の時代に「張仲景」が著した「傷寒雑病論」である。

その傷寒雑病論は時代の変遷を経て、脱字や加字(後人が加筆したと言われている)は有るものの、現代に残っている。

何故、張仲景が傷寒雑病論を書き上げたかは以下の理由が有ったからである。

後漢のその時代には神仙道方術家なる漢方家ばかりで、彼らは不老長寿の処方の組み立てばかりを目標に日々を送っていた。従って抗生物質の無い時代の伝染性疾患の治療はお手上げの状態で、実に大勢の民が感染性疾患で亡くなった。

漢方的手立てが無いまま、むざむざと多くの民が亡くなって行ったと傷寒雑病論“序文”に書かれている。

「張仲景」の一家一族郎党も例外ではなく、建安元年(AD196年)から10年の間に200人以上の大家族の内3分の2の身内が主に感染症で亡くなったと書かれている。

張仲景は現在の河南省南陽県で官吏として仕事に付いていたが“感染性疾患の治法の確立”を念頭に、一念発起して張伯祖に師事して漢方医学を学び、師を超えて前出の最古の感染性疾患治療の医学書を書き上げたので有る。

因みに、風邪の引き始めに使用する葛根湯はこの医学書に書かれたもので有り、日本では一番馴染みの深い処方である。最近、日本では病医院でも度々処方されますが、残念ながら張仲景が書き残した理論とは違った使い方をしているのが現状である。

寧ろ、やみ雲に使っていると言った方が正しいかも知れない。

張仲景は葛根湯の使い方を厳密に規定しているのだが、使い方を間違えると、場合によっては脱汗といって心臓性ショックをおこし、三途の川を渡った人も多くおられると有名な漢方の先生の講演で聞いたことが有ります。

毎月おこなっている漢方勉強会(びわこ漢方サークル)受講の薬剤師さんから、ひどい“多汗症”のお年寄りの患者さんに、肩こりを治す目的で葛根湯が処方されているのだが…と相談を受けた事が有ります。

服用している本人は何も分からず服用しているのですが、これは当に命がけである。葛根湯のせんじ薬で投薬していたら恐らく危うかったであろう事は想像に難くない。

私は日々の仕事の中で葛根湯はそんなに使うことは有りません。

張仲景は書の中で葛根湯の使い方を以下の様に規定している。

つまり太陽病(感染の始まりで)で、項背強張り(首こり、肩こりがあって)、脈浮緊(緊張した脈で浮いている)、汗無く…と規定している。従って、この項背強張り、脈浮にして、汗をかいていない状況であれば副鼻腔炎に、蕁麻疹に、咽痛に、腰痛に、ニキビに、中耳炎に使用するとうまく治療できます。

抗生物質や鎮痛剤を使わなくてもうまく治るのである。言い換えると葛根湯は有汗時には使ってはいけないのである。

漢方薬の副作用情報も大切であるが、施治者は真の使い方を会得しなければならない。

漢方医学では間違って処方することを“誤治”と言い、強く戒めているのである。しかし乍ら傷寒雑病論では誤治をした時の対処法迄言及しているのである。

漢方薬は使い方次第では毒にもなるのである。

更にその傷寒雑病論序文に張仲景が時の医療者を嘆いて次の様に書き記している。

「ただ空しく栄華権勢を求め、権力者になろうと必死にもがき、名誉と利益を得んとして大事な所をなおざりにしてしまい、外面を華やかにして内面は窶れている様では、真の栄華は得られない」…と。

?大津男声合唱団 ?onthly booklet ハーモニー寄稿文より

17号 漢方の風 ー漢方薬の素晴らしさ、難しさー

2008-08-11

 平成20年5月22日、(社)大津市薬剤師会総会の後の懇親会の席上、広報担当の山口先生より、ひき続き原稿を提出して欲しい旨の依頼を受けました。「豚もおだてりゃ木に登る」ばかりに “煽”(おだて)を甘受 し、二つ返事で了解してしまいました。その4日後の朝、いつもの様に仕事前にパソコンのメールのチェックをした所、早速、原稿の締め切りは6月25日ですと言って来た。来月からは、毎月大きな漢方講演が控えており、今書かなければ、締め切りに間に合わなくなる事必定である。今日は5月26日とはいえ、早速パソコンに原稿を書き始めました。今回は、少々、手前味噌の話を書かせて頂きます。ご辛抱下さい。

 私の生家は、大津の旧東海道沿いにあって(現京町通)、江戸時代から続く茶商で、間違いなく、本物の“朝宮茶”も扱っております。私の祖父は茶業の傍ら、趣味で骨接ぎ屋さんやら漢方薬屋さんをしていた(現在なら薬事法違反)。次兄には、“お前はお爺ちゃんの血をひいたんや”と何時も言われる。その次兄は美術品の蒐集家で(西大津近くで中川美術館を開いている)、何でここに、こんなに素晴らしい美術品が有るの、と思ってしまう程である。弟の私の一寸した自慢である。一方、私の長兄は、変わり者で、茶業の傍ら色々な趣味を持っていた。私が云うのも変ですが、中でも、文学的素養は天性のものがあり、俳句に至っては「花藻社」の主宰をもしていた。又、県の文化功労賞の栄誉にも浴した。湖畔のびわこ文化ホールの西側の芝生には、大津市制100周年事業において句碑を建立させて頂いた。そこには、

“湖薄暑掬えば貝となるてのひら”(琵琶湖の水の美しさを謳った句) と刻まれている。

 一般市民が見て、先ず読めないし、当然意味も解らない。皆が解らなければ駄目でしょうと私が云ったら、長兄からは解らないから良い、と言い返された。やはり変わり者である。兄が俳壇に登場した頃は、私はまだ幼稚園から小学校に上がった頃である(17歳の年の差がある)。その頃の、最初の句集「銀河」の巻頭を埋めた句のいくつかを披露させて頂きます。

“黄タンポポ吾が青春第一章”

“虹見てる誰か吾をボヘミアンと云う”

“かすれたレコードかけて満月に乾杯”

“タンポポに春ですね「今日は」

“田園の詩人トマトより真瓜がお好き”

歳を重ね、次に出した句集「男眉」では、

“男眉立てて祭りの武者となる”

“しんしんと雪降り天ゆ楽奏す”

“黙し鵙叫びたくなる世に棲みて”

“雪は純白こんな暗い世の中でも”

“沖へ帆を張って湖族の裔たらむか”

更に、長兄が亡くなる前の、「俳句界」(平成17年11月号)には、

“空蝉に早や生きものの臭ひ無し”

“雷三ッ日火攻めの窯が夜も唸る”

…等。今になって長兄の生き様を見る思いがします。

 それに引き換え、末弟の私は、それまで、極、普通に薬剤師の道を歩んで来ました。某メーカーに就職し、大学病院や町医者を見て来ました。現代医学の素晴らしさを感じつつも、同時に矛盾も一杯に憶え、僕の生きる道としては何か物足りなさを感じておりました。そして漢方を学んだ今、不確かであった、現代医学の危うさ、物足りなさがはっきりと認識出来るようになり、漢方を勉強して良かったとつくづく感じて居ります。

 人は、有機的複合体であり、喘息、アトピー性皮ふ炎、リウマチ、潰瘍性大腸炎、前立腺肥大…等全て、有機的に体内環境と繋がっております。咳を例にとると、五臓をして皆咳せしむ。一人肺にあらずと云って、五臓全てが咳の原因に成りうるのであると、古い書物に書かれている。初診では、ともすれば肺だけ診てしまう現代医学とは“診かた”が全く違うのである。…となると漢方家足るもの、皮膚病でさえ、又、何病であっても患者さんの全体を見なければならないのである。人を診るとなると、大変な作業になるのであり、責任は重大である。

 扁頭痛、下痢、足の関節痛、重症の冷えでお困りのAさんは、最近、呉茱萸湯合真武湯合附子湯を服用し始めて頂きました。二十日分服み終えた所ですが、服み始めた頃に足の甲にひどい鬱血がおこり、気分が悪くなって、頭痛発作も起こり、所謂、瞑眩(めんげん)があったものの、その後頭痛が、いつもより少し減じ、下痢は普通便に、膝痛は全くとれてしまった。そして、再診の今日、寝ていた髪は、ふわぁと立ち上がり、肌はしっとりと、女盛りの肌を取り戻している。

 処方箋の調剤をしていた頃は、凡そ、1400種類の医薬品を扱っておりました(当然夫々の作用機序も理解しております)が、上記のAさんを治療する医薬品はありません。漢方なら出来るのです。漢方の素晴らしさは、ここにあるのです。

 人は云います、私は、漢方は合いません、効きません…と。その患者さんに、よく聞くと,その医師は、舌も診ないし、脈も取らないし、腹診もしない。見たのは某メーカーの手帳だけであった…と。

 漢方の所為にしないで欲しいと、叫びたくなります。だけど、漢方薬と云えどもそう簡単にはいかないのも、現状である。私には、まだまだ勉強の日々が待っている。

 地球温暖化にともない、砂漠化が進み、原料生薬の収穫量が激減している。もっともっと生薬を大切に扱って欲しいと思い、漢方薬の正しい使い方を広めていかなければと思う今日この頃である。

(大津市薬会報 2008年 8月号掲載)

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