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漢方の風音 6号 ベートーベンの難聴・耳鳴り

2015-02-12

バリトン 中川 義雄

ベートーベンは古典派3大音楽家の一人。モーツァルトの生誕より十数年後、1770年ドイツのボンで生まれ、20歳代から聴覚障害を患い、その後32曲のピアノソナタ、9曲の交響曲、16曲の弦楽4重奏曲を作曲し、更にピアノ協奏曲やバイオリン協奏曲等多数の作曲が有ります。

彼を楽聖と呼び(私は中学の音楽の授業で音楽の王と習った記憶が有りますが…)、当に音楽の聖人でしょう。

中学生の頃から、クラッシック音楽が好きで、中でもベートーベンが好きで交響曲1番から9番まで、何度も何度も繰り返し聞いたものです。単純な旋律が繰り返し出て来る、それでいて展開が素晴らしい4番が特に好きです。


彼は1827年、56歳で亡くなりましたがその26年前、31歳の時にハイリゲンシュタットで遺書を書いており、彼の死後、隠し引き出しから遺書が見つかっている。

耳鳴り、難聴と戦った苦悩がしるされている。自殺も考えていたとも書き記されている。

若い時にウイーンでピアニストとして活躍していたころ、彼の演奏を聴いた聴衆は余りの感動で涙したと言われている。

モーツアルトの音楽はその音の次の音は想像できるがベートーベンは、どんな音が出て来るか判らない、そこに彼の魅力を感じると言う音楽家もいる。それ程考え抜かれた作曲であり、聖人たる所以である。

当時、宮廷音楽が主流で、貴族をパトロンとして音楽家は生計を立てていたとされている(オーストリアのシェーンブルン宮殿の絵画にはマリアテレジアの婚礼晩餐会の画に幼少のモーツアルトが画かれている、つまりモーツアルトは宮廷音楽の中で育った)がベートーベンはそれを嫌い音楽は芸術であると唱えてその言葉どおり卓越した音楽を今日まで遺したのである。

プライドが高く偏屈者と流布されるがそれを超える高い音楽性が彼を支えていたのであろうか…。

彼の病名は耳硬化症だったのだろうと言われている。つまり感音性難聴ではなく伝音性難聴で耳鳴りとも戦っていたのである。

伝音性難聴は鼓膜の振動が3つの耳小骨、つまり、つち骨、きぬた骨、あぶみ骨と順番に伝わり、最後のあぶみ骨が聴覚神経に振動を伝えて音を認知する仕組みになっているのであるが、伝音性難聴は多くはあぶみ骨の硬化に原因があるとされている。

そして多くは耳鳴りも伴うのである。遺された彼が使った数種類の補聴器を見るにつけ、彼の苦悩が身近に感じられる。

発症原因は女性の罹患率は男性のほぼ2倍あり、ホルモン説も有りますが西洋医学的にはよく解かっていないのが現状である。


ベートーベンが活躍していた頃、日本は江戸時代で、漢方医学は変革の時代で有ったかも知れない。

滋賀県守山で佐々木一族として生まれた曲直瀬道三<室町時代、明へ渡り、李朱(りしゅ)医学を日本へ持ち帰り関東で活躍した田代三喜の弟子。後に戦国時代にかけて京都で啓迪院を開き漢方医学の門下生を育てた偉大な漢方医>が広めた後世要方(ごせいようほう)は廃れ、古医方が盛んに行なわれる様になった時代である。勿論、折衷派もいたであろう。


その時代、若しベートーベンが日本に来ていたら、当時の漢方医学で、耳鳴り、難聴を治せていたのではないだろうかと思って居ります。

完治とは言わないが日常生活に不自由なく生活出来たであろう。又、私にも若干の自信は有ります。


骨(あぶみ骨も含め)の代謝が上手くいかなくて硬化するのは、腎の主り(つかさどり)が上手くいかない為と考えます。

又、偏屈者と言われた所を考えると肝の問題も有ったのかもしれない。そして気を主る肺も考えなければならないしカルシゥムや細胞外マトリックスを考えると脾の働きも考えなければならない。私の経験から、彼の性格を考えると、元々の遠因は耳鼻咽喉を含めた感染から始まっている可能性も視野に入れて考慮しなければならない。


彼から得た様々な情報を五臓の働きと照らし合わせホリスティック的な弁証をすると治療法が見つけられたであろう。

ベートーベンはむしろ耳の障害を負った後、数多くの名作を書き上げたと言われており、耳の治療が上手くいっていたら、若しかしたら、数々の名曲は生まれていなかったかも知れない。


因みに私は、ベートーベン作品全体に溢れている“苦しみを突き抜けて歓喜に至れ”…の言葉が好きです。

3号 耳と腎虚(難聴・慢性中耳炎)

2005-01-20

 それは、正に奇跡であった。否、奇跡というより奇跡的と言った方が良いかも知れない。便秘で悩んでおられる60才代後半のその男性は、左耳の聴覚を、20数年前より失っていた。  それは、中耳炎をこじらせ、炎症が治まったときには、全く聞こえなくなっていたというもので、それからというものは、右耳だけに頼って、生活をしておられた。主訴は、便秘なのだが、来店された時には、残された耳には補聴器が装着されており、私との会話も、若干、不自由さがあった。  他の、問診のやりとりから見て、地黄の沢山入った漢方薬を服用して頂いた。便通が良くなり、お気に入りで、約6ヶ月間服用された。ある日、耳鼻咽喉科で右耳の検査を受けた際、何と左耳に聴覚が戻っていると先生より告げられたとの事で、顔には、喜びが満ちていた。正に、メイクミラクルであった。患者さんからして見れば、便秘薬が、失音した耳を治す訳がないと思われても、仕方がないのだが、私からすれば、地黄が効いたと確信を持っている。

 次の事例は、奇跡でも、奇跡的でもない。正に、理法方薬通りに、事はすすんだもので、西大津から口込みで来店された、6才の女の子、Yちゃんの話である。滲出性中耳炎がこじれ、それも悪い事に、両耳であった。主治医からは、聴覚を失う可能性が高く、次回、来院時に、将来の事も含め相談しましょうと言われ、両親の悲嘆ぶりは、相当深いものであった。問診のテーブルに母親と共に坐ったYちゃんは、耳が聞こえない為か、全くの無表情で、何を聞いても、返事は、返ってこなかった。家から持参した絵本を大人しく読んでいる。待ち合いコーナーに坐っている筈の父親は、娘の一大事さから、母親の背中越しに、母親の言葉に、被せんばかりに、アーダコーダと伝えてくる。  私の娘が、幼い頃、私も、同じ様に、家内の背中越しに、アーダコーダと言っていた事を思い出していた。取り敢えず、柴建湯を14日分渡し、何も悲観する事はなく、現代医学的には、打つ手はなくても、漢方で治る可能性は、充分ある旨を告げ、コンプライアンスを守る事を約束した。果して2週間後、食欲も出て来て、元気になって来ており、耳も、何となく良さそうに思うとの事だので、更に14日分、同処方を渡す。今度は、ほぼ、完璧に、聴覚が戻っていた。念の為、更に、分2で良いからと言って、42包投薬し、治療は、無事、終了した。そして、今、その弟のY君が、柴胡清肝湯を、未病を治す意味合いからも、ボチボチ服用している。

 平成3年から、県薬主催の漢方勉強会が、月1回のペースであった。講師は、故青木馨生先生である。宮本武蔵の崇拝者ともとれる程、よく武蔵の話しをされた。その訳は、漢方は、勘が大切であり、切磋琢磨し、生活を律し、養生をしなければ、患者さんの証は、不可解であるとの理由からであり、宮本武蔵の生き方が、一番良いとの思いがあったからであろう。勉強会が終わったある日、一人の先生が、質問された。それは、定年退職された男性の耳聾の治し方であったが、先生は、その患者さんの職歴を聞き、それは難しいナアーと一言話されただけで、その質問の答えは、終わってしまった。何故なら、その患者さんは、一生の音を、仕事の関係上、既に聞いて仕舞っているからであると・・・。今、思い起こして見ると、あなた達のレベルでは、先ず、無理であろう事を心の中で、呟いておられた事と思っている。

 大河の一滴(五木寛之著)の中に、書かれているものと、何か通じるものがある。それは、人間始め全ての哺乳類は、一生の間に約5億回の呼吸を与えられているとの記述とである。  人が、音を聞くとは、即ち、鼓膜が振動し、その振動を、3つの小さな骨(つち骨、きぬた骨、あぶみ骨)が順じ、その振動を伝え、最終的に、聴覚神経に振動が伝わり、音として、とらえるのである。私が、近頃、一番危惧しているのが、その3つの小さな骨である。年をとると、耳が遠くなるのも、恐らく関係していると思っている。

 人が、この世に生を受け、水穀の気と天空の気から、骨を作り上げて行くのであり、それらの小骨にも、形成と吸収が、繰り返されていて、乳児期-幼児期-青年期-壮年期-老年期と、恐らく、山なりのカーブを画く様に、乳児期は、未来の、輝かしい人生を、見据え、活発な形成を行い、そして、青年期には、ピークを迎へ確かな、小骨を作り上げて行くのであろう。

 最近、子供連れの若い夫婦をよく見かける、アミューズメントスペースでは、音楽が、がなり立てている。困ったものである。特に気に入らないのが、ある携帯電話のCMである。場所は、空港のロビー、むずかる乳児に対して、ダウンロードした音楽を、ヘッドフォン?で聞かせている場面である。非科学的な思い過ごしかも知れないが、直接的に、音を照射しており、鼓膜-小骨-聴覚神経とした一連の流れにとっては、強烈すぎるのではないかと感じている。

 私の店を立ち上げる時、相談した設計士は、人にやさしく、ソフトな印象を与えるには、直接照明でなく間接照明が良いと言い、間接照明を多用した。  音と光とでは、違うかも知れないが、あながち、そうは、思っていない。屈折を繰り返した光は、やさしさを供って目に辿りつく、音も、同じではないかと私は思うのである。

 学生時代、勉強は、二の次と友人に言わしめた程、合唱の練習に時間を費やした私である。客員指揮をして下さった佐々木先生が、よく言われていた言葉を思い出す。人に感動を与えるには、何も大きな声を出さなくて良い、ピアニシモこそ、感動を与えるものである・・・と。

 中医学では、腎は骨髄を主ると言っており、五色では黒い物である。市薬会報61号のH先生の色体表では、青のり、もずく、あさり、しじみ、ひじき、納豆、栗、いわし、さば、こんぶ、かに、麦芽等が記載されている。さて皆さんは、今日、昨日の間に、どれだけ、食されたでしょうか。そして、前出の地黄なる生薬の色は、真黒なのである。

(大津市薬会報 2005年1月号掲載)

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