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漢方の風音 11号 片頭痛・月経痛・便秘(五積散の使い方)

2019-01-24

漢方塾…片頭痛・月経痛・便秘(五積散の使い方)

なかがわ漢方堂薬局 中川義雄


先日、長年行きたかった壱岐の島に行ってきた。中学の「地理」で勉強した時に何故か行ってみたいと思った所が2か所あって1つが北海道の然別湖で、あと1つが壱岐の島であった。然別湖は過去に二度行きましたが壱岐の島は今回が初めてで長年の夢が叶いました。博多からジェット船に乗り1時間強で渡島出来ます。日本の3大遺跡の1つである原(はる)の辻遺跡(3大遺跡※1:登呂遺跡、吉野ケ里遺跡、原の辻遺跡)があって、弥生時代にこの小さな島に大陸文化が渡って来て交易が始まりとても栄えた事は驚きであった。因みに魏志倭人伝に壱岐国(一支国:いきこく)の記述があります。


島には戦時中に作られた巨大砲台あとがあり、又、島の近くの沖合に自衛隊の護衛艦らしき艦船が2隻停泊しており本土を守る前線に近い場所である事を思い知りました。
執権北条時宗の鎌倉時代に日本の征服を試みた元のフビライハンは先ず大陸に近い対馬で残虐な殺戮を繰り返し、次いで壱岐の島でも同様に殺戮を行い、九州上陸を果たそうとしました。所謂、蒙古襲来(元寇)である。
つまり対馬、壱岐は大陸から日本本土への中継地点でその昔大陸文化が壱岐の国にやって来て交易が盛んになり栄えた事は十分想像できる。因みに対馬と九州の中間地点に壱岐の島があります。
旅の途中私の専門の漢方医学はこの壱岐の国の繁栄があったにも拘らず何の説明も文書も耳にも目にもしなかったのは、卑弥呼の邪馬台国の時代の医学は「巫医」※2(ふい)であったからであろう。卑弥呼そのものが巫医を行っていたとされる時代であり、漢方医学が無かった事は想像できる。
我が国で、漢方医学が初めて登場したのは平安時代に中国の宋・金元医学を学んだ丹波康頼が著した医心方が始まりで、それ以前の弥生時代の壱岐国(一支国)では存在していなかったのは当然であろう。
中国の張機(字名を張仲景と言う)が著した最古の医学書「傷寒論」は後漢(AD25~220年)の時代で日本では弥生時代後期に相当し魏志倭人伝(AD290年頃)に記載されている邪馬台国・卑弥呼(AD240年頃没)の時代である。壱岐国(一支国)の原の辻遺跡はBC300年~AD300年頃迄とされており大陸と交易が有ったとしても漢方医学は伝来していなかったのは当然であろう。


端を更め、今回は今まで漢方塾で出て来なかった五積散の使用経験を書いて見たいと思います。(五積散:当薬局ではエキス剤ではなく原末散剤を使用しています)


片頭痛でお困りのAさんは元来冷え症で、冷えが強くなるとのぼせも同時に起こって来る。同時に前後にやって来る月経は激痛を伴い、耐えがたいと言う。肩凝り、鳩尾の痞え、耳鳴り、眩暈、動悸、微熱もあって訴えを聞いている私も同情を禁じ得ません。


五積散は“気血痰寒食“による積聚(つまり五積)を取るとされている。構成生薬は当帰、芍薬、川芎、白朮、茯苓、厚朴、陳皮、半夏、白芷、枳殻、桔梗、乾姜、桂枝、麻黄、甘草、大棗で構成されており、桂枝湯、麻黄湯、半夏厚朴湯、苓桂朮甘湯、苓姜朮甘湯、二陳湯、平胃散、四物湯の方意を含んでいる。


そこでAさんには五積散に呉茱萸、延胡索を併服して頂き、頓服に呉茱萸湯を服用して頂いております。


Bさんはやはり頭痛、胃痛、胸やけ、悪心、強い月経痛、疲れやすい、お腹が張る(腹満)、痺れ、冷え性でお困りです。この女性にも五積散に呉茱萸、延胡索、時に香附子を兼用して頂いた所、具合が良く長期に服用して頂いております。


Cさんは赤ら顔で冷え性、便秘でお困りの年配の女性で五積散と麻子仁丸を兼用して長期に亘って服用頂きました。服用後体調が良く排便もスムーズでとても喜んで戴きましたが高年齢で残念ながらお亡くなりになりました。この女性は痩せ型で冷え性にも拘わらず何れかの薬局で三黄瀉心湯(大黄が入っている)の錠剤を進められて長く服用されておられました。三黄瀉心湯は冷やす作用が強い為、当然この女性は排便は出来るものの快便にはならず結果的には更なる便秘体質を生じる事になる。
他には腰痛、冷えを伴う婦人病に良く使って居ります。


※1登呂遺跡、吉野ケ里遺跡、長野県の平出(ひらいで)遺跡を3大遺跡と称する事もある
※2《「ぶい」とも》巫女 (みこ) と医者。また、両者の役割を兼ねた者。

漢方の風音 10号 漢方書との出会い(化膿症、腫物)

2018-10-30

漢方書との出会い(化膿症、腫物)

      

中川 義雄

昭和44年大学を卒業して直ちに製薬企業に就職し、MR(Medical Representative :医薬情報担当者とは名ばかりで当時はプロパーと称し、添付による値引き合戦やドクターへの贈り物等の手段による自社製品販売が主要な仕事であったが、時に本来の医薬情報業務をする事もあった)の立場で医療界に身を置きましたが、業務内容が馴染めず1年足らずで退社しチェーン薬局に再就職しました。スーパーのテナントの薬局の店長として赴任して間もなく、先輩の岡本先生(故人)…彼も又、製薬会社に就職されましたが肌に合わなかったのかは承知していませんが早期退社して同じチェーン薬局に再就職されました…から奨めて頂いたのが大塚敬節著「症候による漢方治療の実際」と言う分厚い漢方の専門書です。当時の製薬企業の初任給が2万~3万円の時代に1冊が4000円で非常に高価な本でした。

然しながらこの一冊は、仕事内容は勿論の事、西洋医学になにか違和感を感じていた私に強烈なインパクトを与えてくれました。その違和感とは、西洋医学は感染症に対しての抗生物質は別にして慢性疾患に対しての真の治療である体質改善をすることが果たして出来るのであろうかと言う疑問であった。

当時、漢方理論が有る事も知らなかった私でしたが(漢方は経験医学で理論は無いと思っていた)、本を開いて見ると、めまい、片頭痛、咳、排尿異常、不妊、肩こり、悪心、視力障害、嚥下障害、等の漢方治療法が口訣(くけつ)の様に事細かく書かれていて無我夢中で読み、読んでいる途中からどんどんと面白くなって来て忽ち読み切りました。読後は人生を左右するとても大きな希望と灯りを与えてくれました。 それは、私が小学生低学年の時、隣近所の3名の先輩(3歳から6歳年長)に、探検と称し、連れられ、逢坂小学校の奥の朝日ヶ丘から浅井山の奥へ奥へと分け入り、途中から道に迷い、幼少だった私は必死の思いで後をついて行き、その内に日が暮れてきてほぼ暗闇の中を歩くことになりました。彷徨い歩いている内に漸く遠くで一軒家の窓明かりを見つけました。辿り着いたところは膳所の山里でした。この本との出会いはその時の灯りを見つけた時の感動に似た出来事でした。


そんな折「化膿症、腫物」編の最初に記載されている「十味敗毒湯」の使い方を読んでいたが為に一命が救えた奇跡の様な経験をしました。

スーパーのテナントの薬局の店長として働いていた24歳の頃の経験です。定期的に500グラムの平綿(ひらめん)を買いに来られるお客さんがおられました。余りにも何度も買いに来られますので、ある日、思い切ってその用途を聞いてみたのである。病名は不確かですが要約すると最初、足の指が化膿して腐敗した為に指を切断した。すると暫くすると切断部が再度化膿して腐敗してきた為に足首から先を切断したとの事。すると、暫くして再度切断部分が化膿して腐敗して来たので今度は膝の部分を切断したとの事。再度、同様に化膿、腐敗してきたので大腿部を切断した。私が思い切って訊ねてみた時が当にその大腿部が化膿してきた時であった。次は最早、切断部が無いので途方に暮れて、死を覚悟しているとの事でした。

そこで、化膿症、腫物編に書いてある「十味敗毒湯」を大塚敬節先生の本を開いて、見せながらひょっとしたら効果が有るかも知れないと思いお薦めしたのである。

数日後、すっかり忘れていた頃にそのお客さんが、ふと来店されまして、化膿が止まったので更に1箱を買いに来たとの事でした。更にその数日後、すっかり傷跡が綺麗になったと菓子折りを持ってお礼に来られました。因みにその時の十味敗毒湯は原末と釜で煎じたエキス剤とを混ぜ合わせた製剤であり、原末が入っていた事が功を奏したのだろうと思って居ります。

その後、妊娠中毒症後の腎炎(蛋白+4、尿潜血?+)で強い倦怠感の方に柴苓湯で、潰瘍性大腸炎で人工肛門の施術日程が決まっていた方が帰耆建中湯他で手術を回避出来た方、心臓の病気(病名は不明)で手術日が決まっていた方が手術を回避出来た…等この大塚敬節先生の本を参考にして多くの方の健康に寄与出来た。

そののち、陰陽虚実の弁証法や五行論、気血水(きけつすい)理論を勉強して、再度読み返した時、この本の真の素晴らしさが理解出来、更に様々な疾患でお悩みの方の治療のお手伝いが出来るようになりました。今ではこの十味敗毒湯の使い方はただ闇雲に使っては駄目で十味敗毒湯“証”(症では無く)を把握した上で使用すると様々化膿性疾患を上手く治療する事が出来ます。現在の当薬局では抗生物質代わりに他処方として「荊防敗毒散」「千金内托散」をよく使います。


大学の2年先輩で同じMRを経験して薬局に転職された同じ境遇の故岡本邦夫先生は西洋医学に自分の道を見いだせず東洋医学に関心を持ち大塚敬節先生の本と出会い、後輩の私に勧めてくれました。

故岡本邦夫先輩には今なお感謝しております。因みに岡本邦夫先生は大学の合唱団の先輩で音楽的素養が素晴らしく私が入団した時の指揮者で選曲が「眠れ幼き魂」「童謡」「真間の手古奈」「スティーブンフォスター集」「旅」「蔵王」「子守歌」「富士山」等、反戦の歌からミュージカル、童謡迄幅広いレパートリーを目指されておりました。

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