Archive for the ‘漢方の風’ Category
漢方塾…バルトリン腺炎・嚢胞・膿瘍の漢方治療
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄
バルトリン腺は膣腔の後方の左右に位置し、性交時に潤滑液として役割を果たす粘液を分泌する排泄管である。バルトリン管が何らかの理由で閉塞するとバルトリン腺は分泌液で増大して嚢胞を生じるのである。
現代医学的には何故、閉塞するかは解明されていない。バルトリン腺嚢胞は20歳代で多く発生し加齢と共に発症率は下がる。約2%の女性に発症するとされている。
大部分のバルトリン腺嚢胞は無症状であるが大きくなった嚢胞は性交時や歩行、座位時に痛みを発することになる。
そのバルトリン腺が感染するとバルトリン腺炎を発症する。常在するブドウ球菌や連鎖球菌、大腸菌、嫌気性菌などが原因菌であるが性感染症を引き起こすクラミジアや淋菌も原因となる事もある。
感染してバルトリン腺開口部周辺に炎症が波及すると排泄管やバルトリン腺は塞がった状態になり分泌物は溜まった状態になる。その結果、バルトリン腺嚢胞に感染が引き起こされ、最終的に膿が溜まりバルトリン腺膿瘍が発症するのである。
漢方医学の本質は“未病を治す”事にある。現代医学的には原因は不解明であるが、個々の患者さんの体質を見て、発症しやすい体質を見極める事が出来るのである。
そこを弁証すると自ずと全く苦痛を伴うことなく漢方薬で治療することが出来るのである。
現代医学的バルトリン腺治療の多くは溜まった分泌液や膿を穿刺術で取り除く方法が一般的である。
多くは再発、再再発…を繰り返し、そのたびの穿刺術は心理的苦痛と肉体的苦痛を強いられる。
最終的にはバルトリン腺開口部を開放する為にバルーンカテーテルを挿入留置して開口部の線維化を図り永久的な開口部を作る方法や嚢胞の端を反転させ外部に縫合して開口部を作る方法が施術される。
薬物療法としては耐性黄色ブドウ状球菌(MRSA)を対象としてトリメトプリム(合成抗菌薬)とスルファメトキサゾール(サルファ剤)の合剤やアモキシシリン、クラブラン、クリンダマイシンで治療するが再発を繰り返す事がある。
一方、漢方医学的治療はバルトリン腺が肝経に位置している事から①肝経湿熱を排除する漢方薬を主処方として更にその患者さんの状況(②免疫力が落ちている、③膿を排出する漢方薬を使う必要性がある、④抗菌作用のある処方の選択等)を見て治療を行う。①、②、③、④の処方をうまく組み合わせて治療すれば精神的、肉体的苦痛を伴うことなく上手く治療できるのである。
漢方の風 48号 慢性疲労症候群
胃腸虚弱(吐き気、食欲不振、膨満感)
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)
数年前、当薬局の患者さんの紹介で他府県から来られた若い女性は来局当時、体調を崩し、体重40kg台から8kg痩せたとの事。掲題にあるように胃がムカついて食事が満足に摂取出来ない。問診票には虚弱体質でアレルギー体質(塵埃、花粉)、疲れやすく、暑がりで寒がり、汗かきで傷が治りにくく、季節の変わり目が辛いと書かれている。更に問診の中で過去に過呼吸歴があり、風邪をひきやすく、引いたらなかなか治らない。お通じは一定せず便秘だったり下痢だったりする。それに足先がとても冷えて辛い。月経は痛みが強く、不順で経血は少ない。甘さより塩分を好む事も確認できた。
病院で慢性疲労症候群と診断され、補中益気湯と睡眠薬を投薬されている。補中益気湯を食前に服用すると悪心(おしん:気持ちが悪い)がするので食後に服用しているとの事。数年間、服用しているが全く改善していないとの事で当方に相談に来られたのである。お話を聞いているとその辛さがヒシヒシと伝わってくる。又、問診の途中で数回咳払いをされる事も確認出来た。
それらの事からある体質を念頭に入れながら問診を続けると、喉は紅く腫れていて中耳炎歴、副鼻腔炎があって手掌と足跡に発汗しやすい事も判明した。病院からは風邪時に桂枝湯が頓服で出されている。
問診の結果、そもそもの発病原因は持続して繰り返すストレス(内容はここでは省略します)が原因である事は明白であるが、本人の生まれながらの体質も深く関わっていると弁証することが出来た。
そこで、柴胡桂枝湯と半夏厚朴湯、六君子湯と補中益気湯を服用して頂いた所、服用途中、風邪を引くことはあるが症状は軽く、しかも早く治る。生理は順調になり生理痛も軽くなってきた。更に食欲も出てきて、体重も徐々に増えてきた。
長期に亘って服用して頂いた結果、体調が凄く良くなってきたと喜んでいただいた。
上記の生まれながらの体質とは解毒証体質の事で更に持続して繰り返すストレスが自律神経を介して胃腸を傷つけ上記の様々な症状を引き起こしていたのである。
つまり、この患者さんは真の慢性疲労症候群ではなく、喉が弱く感染しやすい体質がもともと有って、その上に持続性のストレスが覆いかぶさって発病したのであり、治療はストレス性の消化器症状を改善しながら咽喉の感染を治療且つ予防していく事である。上記の漢方処方を継続して服用して頂いた結果、徐々に体力がついて来たのである。養生の面から大切なことはこの持続性のストレスから距離を置く事であろう。
よく、喘息には自然の多い所への転地療法が良いと言われておりますが、それは今の環境で受けているウイルスやバクテリア、花粉、塵埃の侵襲を避け、更に、受けているストレスから遠ざかる事に他ならない。この患者さんに行った漢方治療は喘息ではないがこの転地療法とよく似ていると私は思っている。
以前、アメリカ大統領諮問機関で報告書を作成した上院議員のマクガバン報告の事を過去の漢方塾で書いた事が有りますが、つまり肉食を減らしてアメリカの癌の罹患率を減らした内容でしたが、マクガバン報告では他にもミネラルやビタミンなどの栄養素が乏しい野菜や根菜類を改善して、本来の栄養素がしっかり入った食べ物を摂取する事が大切でありそれを摂取すると癌の発生を減らすことが出来ると言うものもあった。転地療法ではその土地の栄養価の高い野菜なども摂取できるのであろう。
アメリカの代理母制度では喫煙やアルコールを控える事は当然として、添加物が少なく、正食(栄養素がしっかり入った食べ物)を摂る代理母に対しての報酬は極めて高額に設定されている。
漢方の風 47号 菊池病・アトピー性皮膚炎の漢方治療
漢方塾…菊池病・アトピー性皮膚炎の漢方治療
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)
職場の上司よりパワーハラスメントを受け続けている20歳代の女性Aさんは気丈に仕事を続けている。Aさんの話によるとその上司は同僚のBさんにも同様にパワーハラスメントをかけていた。Bさんは耐えられず職場を去って行ったとの事である。
人の紹介で来局したAさんは酷いアトピー性皮膚炎を発症していた。全身に痒みが有り、顔全体に発疹、発赤が出ていて、手は左右共に発赤が有って掻破痕があり如何にも痒そうで、全体に色素沈着も見られる。背中も隆起性の発疹が全体に広がって、その痒みは容易に想像ができる。やはり掻破痕があり、恐らく就寝中に搔いているのであろう。
丁寧に問診を問ってみると上司のパワハラによるストレスが原因で発症しているのであろうと察しがついた。Aさんはとても確りされた娘さんでパワハラに耐えながら仕事をされておられるのであるが体はアトピー性皮膚炎と言う形で信号を発しているのである。つまりMasked Depressionが表出しているのである。
問診の中でAさんは病歴として高校生の頃に面皰(ニキビ)があり、臀部にひどい毛嚢炎を発した事があった。又、最近花粉症になり、子供の頃から所謂オデキが出来やすい体質で、擽(くすぐ)りに弱く、足跡に発汗しやすい体質である事も分かった。咽喉を覗くと喉は大きく腫れていて、よく喉から風邪をひくとの事で、更に想像を働かせて聞いてみると気管支喘息も患ったことがあるとの事。更に、生理時にかぶれて痒みを発症する事も分かった。つまり一貫堂医学で言うところの「解毒証体質」である事が弁証できた。
そこで漢方薬は“逍遥散”と“補中益気湯”と“十味敗毒散”と“消風散”を使い分けて20日分服用して頂いた。継続してパワハラを受ける中ではあるものの症状は改善されてきて、化粧水も付けられるようになったと喜ばれた。完全に改善された訳でもないので、引き続き同じ処方を継続して服用して頂いた。その後、自分の判断で間歇服用するようになり、症状はほぼ改善された。
そのような中、ハードな仕事が続いて疲れると症状が少し出る。その時はしっかり服用すると忽ち改善する。
そうこうする内にパワハラ上司は異動になり、パワハラは無くなったが人員の補充が無く仕事としてはとても忙しくしていた所、突然、発熱し膀胱炎症状が出た。COVID19を一応疑ってPCR検査を実施したが結果は陰性で泌尿器科に受診した所、腎盂腎炎と診断され、ク〇ビ〇トと解熱剤が処方された。その後、微熱が続く中、陰部と口唇にヘルペスが出た。その翌日、眼にもヘルペスが出て抗ウイルス剤を7日分服用し、眼には眼軟膏と点眼薬を使用してヘルペスと腎盂腎炎は治まった。
一週間ほどが経ち、左頸部が腫れている事に気付き、寝違ったと思うほど痛みが出てきた。就寝は側臥位が痛みで出来なかった。その内、日中は36度~37度であるが毎日、夕方になると悪寒がして38.9度~39.6度Cに上がり、前述の腎盂腎炎は改善した筈なのに(念のためク〇ビ〇トは継続服用していたが)、不明熱はおかしいとして他医院を紹介された。そこで、診断されたのが“菊池病”であった。正式病名は“壊死性リンパ節炎”。
そこで、菊池病の漢方治療を請われたのである。頸部のリンパ節炎は肝経湿熱と考え “竜胆瀉肝湯”を投薬するのが基本であるがAさんの症状は悪寒が強く高熱を発しており、少し前に腎盂腎炎も罹患しているので“荊防敗毒散”(※)を14日分投薬した。服用する間、徐々に解熱して14日後に来局された時はすっかり解熱し頸部の腫れも少し残っているがほぼ改善した。菊池病は1~2か月で自然治癒する事が多いがAさんの主治医はステロイド治療を勧めた。本人がステロイドを使いたくないと断って当薬局に来られたのである。
菊池病は自然治癒しても5~15%の人は数か月~数年内に再発する。又、0,5~2%の程の致死率が報告されている。
WBC,RBCが軽度減少し、LDH,CRP,AST,ALTが上昇するが直接診断には結びつかず確定するには生検しかないとネットに書かれている。今後のAさんには本来の漢方医学の本意である未病を治す意味で、つまり、再発を防ぐ意味で解毒証体質の改善処方を服用して頂こうと思っている。
※荊防排毒散…
荊芥、防風、羌活、独活、柴胡、前胡、川芎、桔梗、枳殻、茯苓、炙甘草、生姜、薄荷で構成されている。
風寒湿の表証が目標で、つまり荊芥と防風で悪寒、発熱を改善して羌活、独活で嫌な痛みを取る(風湿を取る)。羌活、生姜は発汗、解熱にも働く。
漢方の風 46号 肺MAC症の漢方治療
漢方塾…肺MAC症の漢方治療
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)
抗酸菌群は結核菌群と非結核性抗酸菌群(Non‐tuberculous Mycobacteria(NTM)に分けられます。
非結核性抗酸菌による感染症を非定型抗酸菌症と言い頭文字を取ってNTM症と言っている。因みに定型とは結核菌感染を言う。NTMは土壌、水系、食物、動物に生息していて、肺や皮膚※等に感染症を引き起こす。
中でもMycobacterium avium とMycobacterium intracellulare の2種類の菌をComplex(合わせて)して、頭文字を取ってMAC菌と呼んでいますが、近年、世界中で免疫力に異常がないのに肺にMAC菌が感染する肺MAC症が増えている。
中年以降の女性に感染者が多いが、理由はわかっていない。近年、若い人にも感染者が出ていると言われている。
風邪も引いていないのに咳が続いたり、咳と共に痰に血が混じり(血痰)肺癌になったと悲嘆にくれて急いで病院にかかる人もおられる。反対に気管支拡張症や慢性気管支炎と診断されてきた人の中に痰を検査するとMAC菌が見つかるケースもあるそうです。
肺のNTM症の内、肺MAC症が70~80%でカンサシ菌(Mycobacterium kansasii)が肺に感染した結核によく似た肺カンサシ症が10~20%程度と言われています。症状は咳、痰、血痰、食欲不振、発熱、羸痩、全身倦怠感などです。
肺MAC菌は浴槽のお湯の注ぎ口やシャワーヘッド、湯垢、風呂場のぬめり等に生存していて、風呂掃除やシャワーを浴びた時などにMAC菌を吸い込んで感染すると言われています。又、土壌にもいるので土いじりをして感染することもあるそうです。
治療法は抗酸菌である結核菌に準じた治療が行われる。
具体的にはストレプトマイシン、カナマイシン、クラリスロマイシン、リファンピシン等の抗生物質とエタンブトールなどの抗結核剤を多剤併用して治療が行われる。
エタンブトールの視神経障害、肝障害。ストレプトマイシン、カナマイシンの第八脳神経障害による聴覚障害、腎障害等の副作用に注意しなければならない。
漢方治療の着目点は痰が多い事と倦怠感、食欲不振等から水毒と気虚が絡んでいると弁証する事である。
水湿が停滞すると水毒となって“痰”が多くなり、これは五行論で言うところの“土”である脾(消化管)の運化機能の失調によるものである。
他にも水湿の絡んだ症状としては浮腫み、食欲不振、倦怠感、頭重感、めまい、羸痩、軟便、下痢などの症状が現れる。
又、肺の機能低下(肺気虚)による症状としては咳、痰は勿論の事、息切れ、呼吸の苦しさ、動悸などがでる。感染にも弱くなり微熱や盗汗(寝汗)、数脈(さくみゃく:頻脈)といった風邪症状が出る。
薄い痰が多く出るようであれば水毒を取る沢瀉、白朮、蒼朮、茯苓などの入った処方を考え、風邪をひきやすい、倦怠感、食欲不振などの症状を改善するために人参、大棗、生姜、甘草、黄耆などの気を補う処方を用いる。
これらの根治療法に加えて咳症状を取る半夏、生姜、五味子、杏仁などを含んだ処方で標治療法を考慮する。
肺MAC菌の感染力は弱く、通常人から人へ感染することは無い。体力の落ちた免疫力の低下した人に感染する。なかでも肺の粘膜の乾燥した防御機能の落ちている人に感染するのである。従って滋陰しながら去痰し、肺と脾の虚を補って治療すれば良いのである。
生脈散、補中益気湯、四君子湯、六君子湯(加黄耆)、苓甘姜味辛夏仁湯、柴胡桂枝乾姜湯(加茯苓、杏仁)、参苓白朮散、帰脾湯、滋陰至宝湯、黄耆建中湯、人参湯、人参養栄湯…他から選用して治療すれば良いであろう。
※皮膚非結核性抗酸菌症:肘、膝、手、腰、下肢に膿疱、潰瘍、発赤、しこり等が現れる。
漢方の風 45号 痔の漢方治療
漢方塾…痔の漢方治療
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)
20歳代で大塚敬節先生の著による「症候による漢方治療の実際」に巡り合い、次いで矢数道明先生の著による「漢方処方解説」に出会い、それらの書物が私の人生に多大な影響を与えてくれました。
私は中学1年生の2学期になって勉強に目覚め、文机(ふづくえ)に座布団の姿勢で1日数時間自宅で勉強したものです。生来、凍傷の出来やすく血流の悪い体質である事と父親が痔の手術歴がある遺伝体質に加え座布団での長時間の座位は肛門部の欝血を生じるために“痔”の発生リスクは高く、案の定、痔に罹患した。母親が座薬と円座と乙字湯を近所の“I”薬局で購入してきた。早く治りたい私は漢方薬(乙字湯)が痔に効果があるとは、当時思いもしなかった為に服薬コンプライアンスは非常に悪く、主に座薬で症状を抑える事に専念していた。高校生になって症状は更に悪化して、痛みで授業に集中出来ずとても辛い思いをしました。それからというものは毎年5~6月になると必ず痔を発症して苦しめられた。あの痛さは本当に辛い。うっかり、くしゃみをしようものなら半日はズキンズキンと痛む。大学の合唱団の練習では複式で大きく息を吸うだけでズキンズキンと痛んだ。社会人になってから、前出の漢方書や他の漢方書に出会って、乙字湯の治験を読み、乙字湯の処方構成の薬草の働きを学んで、漸く乙字湯の絶大な効果を知った。其れからというものは服薬コンプライアンスを守り長期の苦しみからは解放された。
痔核(いぼ痔)は内痔静脈叢に生じた欝血が原因でできる内痔核と外痔静脈叢に欝血が生じてできる外痔核があります。内痔核の発生する部分(肛門から数センチ入った所に歯状線なる組織が有ってその歯状線より上部の肛門上皮部に発生する痔核)は知覚神経の分布は無く、痛みはありませんが外痔核の発生するお尻の出口に近い部分には下直腸神経や尾骨神経があって痛みが発生するのである。この外痔核が発生する部分には肛門括約筋があり、外痔核の痛みによって肛門括約筋が痙攣を起こすと痛みは激痛になり、座ることも歩くことも困難になり、前述のくしゃみをすると半日痛みが続くことになるのである。
痔の漢方治療は色々な方法がありますが、乙字湯を筆頭に桃核承気湯、桂枝茯苓丸、甲字湯、補中益気湯、当帰建中湯加減、麻杏甘石湯、桂枝加芍薬湯加大黄、柴胡桂枝湯、芎帰膠艾湯、芍薬甘草湯、紫雲膏、伯州散等を使い分けて治療することが出来る。勿論、証を弁証して他の必要な処方は併用する。大柴胡湯や半夏厚朴湯、黄連解毒湯(加大黄)、半夏瀉心湯等がそれである。
乙字湯は原南陽の経験方で当帰、柴胡、升麻、黄芩、甘草、大黄で構成されている。南陽は柴胡と升麻を升提(下がっているものを持ち上げる作用)の意で用いているが勿誤方函口訣(浅田宗伯)では湿と熱を駆邪する作用を考慮すべきと言っているが私は経験上どちらも有りと思っている。
他の手段としてはズキンズキンと痛んでいるときに生甘草を濃く煎じて温罨(おんあん)する方法もあります。
平成元年に漢方薬局を立ち上げた頃は痔の相談が多かったが大痔主の私が相談を受ける訳なので患者さんからの信頼は厚く、治癒率は高かった。中でも忘れられない治験があります。
57歳の男の患者さんで、主訴は本人曰く、小指大の大きさの脱肛でしたが、よくよく聞いてみると痛みはなく内痔核が弛緩性脱出を繰り返していた。つまり内痔核が排便時に毎回脱出する為、毎回指で押し込むのである。又、ゴルフのスイングをすると力が入って内痔核が脱出するのでゴルフは止めているとの事であった。その方は色白でビールが大好きで汗かき、寒がりで疲れやすく、軟便、時に下痢をすると当時の問診票に書いてある。桂枝加芍薬湯証と見なし、処方はせんじ薬で当帰建中湯に柴胡と升麻を同時に煎じて根気強く服用していただいた。すると、弛緩性の内痔核の脱出はすっかり納まって、排便時に脱出することがなくなり、ゴルフが出来るようになったととても喜んでいただいた。漢方薬は不思議に良く効くと言って数人の痔以外の方を紹介して頂いた。
40歳代の女性の外痔核は煎じ薬の麻杏甘石湯で2~3日で治まる。多くの痔の患者さんの相談を受け、痔の出血、痛みの対処法を会得した。
最近、前立腺癌を放射線で治療する方が多くおられます。週5日、約2か月間放射線を前立腺癌に向けて前後左右、数か所から照射するのであるが(最近、放射線療法が進歩して、5日間前後の照射で済む定位放射線治療も開発されている)、多くの方が放射線による爛が生じ排便時の痛みと出血に悩まされるのである。膀胱が爛れておびただしい出血の患者さんも相談に来られたことがある。当帰建中湯と芎帰膠艾湯との併用や補中益気湯と乙字湯の併用でうまく治療することが出来る。
漢方の風 44号 動的平衡
漢方の風…生物学者・福岡伸一先生の「NHK最後の講義」より
ひざ痛・偏頭痛の「動的平衡」的漢方治療。
膝の痛みを診て膝だけを見ては駄目。
偏頭痛は頭蓋内だけを見ては駄目。…生命は流れである。
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄(昭)
中学の理科だったか高校の生物の授業だったかで顕微鏡を発明した人はフックであると習いましたが、先頃、NHKで放映された生物学者、福岡伸一先生の“最後の講義”で、フックはアントニ・レーウェンフックが正式の名前だと知り、日本の江戸時代の初め頃にオランダで生まれ、約300倍の倍率を実現していた事を知りました。彼は学者では無く、アマチュアであったにも拘わらず、偉業を為したとの事。それは動物の精子を発見し、血液の中には粒子が流れている事、又、人体は細胞というユニットで出来ている事を発見したのである。
大学の一回生の薬用植物学での葉の構造の実験で顕微鏡を用いて、柵状組織や気孔をスケッチ(書きうつし)した時の倍増も300~500倍だった様に思います。
因みに福岡先生は幼少の頃、両親に買ってもらった顕微鏡で蝶の羽の鮮やかな鱗粉を見た時の感動(モザイク状の色鮮やかな別世界が広がっていた)が生物学に進んだきっかけだったそうです。
その講義の中で先生は自説の動的平衡を解りやすく説明されておられます。
70年ほど前、ドイツ生まれのアメリカの生化学者ルドルフ・シェーンハイマーは『生命は機械ではない、生命は流れである』…と唱えた。毎日、口から摂取する食べ物は全て燃えて、エネルギー化した後の残り糟が翌日、便となって出ているのではなく、その摂取した成分の半分以上は体の部分と入れ替わり、入れ替わった体の古い物質が便となって出ている事を同位体を用いて(マーキングして)発見したのである。つまり、1年前の身体は全て新しく入れ替わっている事を突き止めたのである。そこで、彼は前出の「生命は機械ではない、生命は流れである」…と言ったのである。
福岡先生は鼻の移植手術を例にとって説明された。鼻のどの部分迄を切り取って移植するかを考えた時、それは難しい。鼻の奥の嗅覚上皮細胞まで移植しょうとすると嗅覚上皮細胞は脳に繋がっており、脳迄をも移植するのか、となるのである。つまり鼻という機能を取り外して移植することは出来ない。結局、体全体を持って来ないと駄目なのである。生命体は全体のどの部分も繋がって居り、流れていて、鼻も生命体全体の一部に過ぎないのである。
例えば、膝は生命の流れの中に有り個別的ではなく、全身の一部である。膝の痛みを治療する時はその人の生命体を見なければならないし、滋賀県、日本、地球と言った広義の生命体を見なければならないと言う事になる。日本は四季があり梅雨がある。梅雨があれば人体は湿の邪で襲われる事になる。(例えば、乾燥したビスケットは湿気のある状況下では湿気てしまいます。実は人体も同じで湿に攻められているのである)。湿邪(しつじゃ)は取り分け脾胃を一番侵襲し易い。その結果、軟骨物質の吸収が悪くなり膝軟骨の生合成が充分出来なくなり膝痛が発生する。単にひざ痛を見てグルコサミンやコンドロイチンを投与すれば良いのではない。ましてや、貼り薬やNSAIDの内服も痛み止めに過ぎず根治は出来ない。
更に、ひざ痛は湿邪の他に、生体内で軟骨の生合成が充分でない腎虚(先天性や運動不足、房室の不摂生、食事の不摂生)も想定しなければならない、又、肝と腎の五行論の母子関係も考慮しなければならない。更に、痛みの他に水が溜まっている場合は水抜き漢方処方の何れかを併用して治療しなければなりません。
偏頭痛は脳内の血管が拡張して周辺の神経を刺激するから頭痛発作が起こるとされており(反対に収縮しての頭痛もあります)、拡張している血管を収縮すれば痛みが和らぐと考える事は至極当然である。が、しかし生命は流れており、自然界の流れの中に生命体があり、脳神経が有り、脳内の血管があるのであって決して静的機械的物質の一部ではないのである。
脳血管拡張は生体内の流れの問題、つまり胃が冷えていたり、消化管に水が溜まって居たり、又、ある人は腹腔内に血毒があったり、肝の気に問題があったりが原因で、それらの生命の流れの異常を是正する事を顧慮しなければ治療にならない。更に地球と言う生命体の観点からは自然界の流れ、即ち低気圧、電磁波も影響するのである。漢方医学では狭義の、更に広義の生命の流れを弁証して治療する事が何よりも大切である。決して画一的治療では有りません。患者様の生活様式もさることながら住居の周囲の環境(田圃、池、川、木々)も考慮して治療するのである。
福岡伸一先生は最後の講義の中でノーベル物理学賞の朝永振一郎先生の[滞独日記]の一節を説明されておられます。
機械論的な自然と言うのは、自然をたわめた作り物だ。
一度この作り物を通って、それから又、自然に戻るのが
学問の本質そのものだろう。
活動写真で運動を見る方法がつまり学問の方法だろう。無限の連続を有限のコマにかたづけてしまう。
しかし、絵描き(画家)はもっと他の方法で運動をあらわしている
…福岡先生はフェルメールは真珠の耳飾りの少女の作品でそれ迄とこれからの動きを表現していると説明されている。
そこで、福岡先生は
機械論的な生命観は、生命をたわめた作り物だ。
一度この作り物を通って、動的平衡な生命観に戻るのが
学問の本質そのものだろう
…と言って居られます。
医学はエビデンスの上に成り立っており、エビデンスは機械論的であるがゆえに秀才型の標準医療になってしまう。良い治療者になるには患者さんの動的平衡を考慮した医療を目指すべきであると話されました。
上述のひざ痛と偏頭痛の“漢方治療”はフェルメールの真珠の耳飾りの少女の表現と同じで何が原因で痛みが起こったのか(来し方)、そしてその体のひずみを是正するとどの様な過程を通って治癒していくか(未来)を考えたもので動的平衡の考えに近い様に筆者は思える。
漢方の風 43号 芍薬甘草湯
漢方塾…不育症(流産癖)・妊娠中の咳
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄
過日、NHKで多剤投薬のリスクについての番組がありました。
多剤服用の高齢(80歳)の女性が自宅で眩暈を起こして昏倒して酷い内出血を起こし、その後、寝たきり状態で要介護になった症例を挙げて、これは多剤投薬が原因で、その後然るべく先生の指導の下、減薬した所、その女性は鬱症状、不眠も無くなり元気さを取り戻された。
番組では穏やかさを取り戻し、減薬した医師への感謝の気持ちと共に喜びの表情を映し出していた。
多剤投薬のリスクを指摘した医師の話では概ね6種類以上の服薬で危険度が大きく上がる旨の説明をされていました。
勿論、6種類以下でも副作用は出るであろう、又、6種類以上でも大丈夫な場合も有るでしょう。つまり、絶えず多剤投薬の副作用に気をつけなければならない。
患者さんの服薬指導の現場に居る我々薬剤師の調剤業務は勿論の事、一般薬を販売している薬剤師も含めて配合禁忌や飲み合わせの不都合のチェックのみならず多剤投薬(健康食品も含めて)のリスクも考慮しなければならない。
医薬品はMain Effect(主作用)に対してSide Effect (副作用)が必ずあります。
患者さんに投薬する際はこの事を確り肝に銘じておかなければなりません。
ここからが本題ですが二度の不育症を経験された30歳代の女性が無事の妊娠と出産を期待して当薬局に相談に来られました。
最初の望診と聞診では、何となく疲れていて、色が白く、声の覇気が弱いと判断しました。そこで、先ず芎帰調血飲第一加減と当帰芍薬散と補中益気湯を組み合わせて服用して頂き最後に半夏瀉心湯と芎帰調血飲第一加減を服用して妊娠にこぎつけた。その後、安定期に入ってから出産まで漢方薬を服用して頂き無事、不育症を克服して元気な赤ちゃんを出産されました。
その報告の際、もし、2人目が欲しいのであれば産後少し日数を置いて芎帰調血飲第一加減を長服し、母乳の与乳は7カ月を目途にして下さいと指示をしておいた。
一年ばかり経って、二人目を妊娠した(第3週)と来局されました。
気が付いたら子宮脱を起こしているとの事で当帰芍薬散と補中益気湯を服用して頂き子宮脱は解消された。
数カ月が経った連休の最中(さなか)、お腹の大きいその患者さんはひどい咳で一睡も出来ず、流産も心配で翌朝ご主人に運転してもらい休日診療を受診されました。
そこで、処方されたのが小青竜湯であった。帰宅後、早速服用し、その後3回服用したが一向に良くならず寧ろ余計に悪くなった様な気がするとの事で連休明け後の朝一番に当薬局に相談にお見えになりました。
妊娠中はプロゲステロン(黄体)期と同じで体温が高く、その結果妊娠中の風邪は咳が強く出て中々止まらない。そもそも小青竜湯は乾姜、桂皮、細辛で肺を温めて咳を鎮めるのですが妊娠で体温が高く肺が熱を持っている患者さんに小青竜湯を投薬すると火に油を注ぐ事になり、咳が更に酷くなります。ましてや、麻黄が一日量として3g入っていますので、元々不育症のこの患者さんには子宮筋を収縮させて流産する可能性も出てきます。そこで、小青竜湯は中止して頂き麦門冬湯を服用して頂き事なきを得た。
端を更めますが、最近、地球温暖化の所為か腓腹筋攣縮(こむら返り)を起こす方が多く見受けられます。そこで、巷でよく処方されるのが芍薬甘草湯(各メーカー共通の68番)です。
芍薬甘草湯には甘草が6g/日入って居り、その副作用である偽アルドステロン症については注意が必要です。
そこで、偽アルドステロン症について復習して見ましょう。
甘草に含まれるグリチルリチンは腸内細菌によりグリチルリチン酸に代謝される。このグリチルリチン酸がコルチゾールをコルチゾンに変換する酵素(11β-Hydroxy steroid-Dehydrogenase type2)の働きを抑制する。その結果、鉱質コルチコイド作用の有るコルチゾールが増加する。コルチゾールは浮腫、高血圧、低カリウム血症を惹き起こし、四肢の脱力等を発症する。甘草1gの長期服用で1%発症し6gで11倍の11%発症するとされている。そこで、芍薬甘草湯には甘草が6g入っているので偽アルドステロン症を発症するリスクが高いので充分注意する必要が有ります。
甘草含有漢方薬の投薬についてある学者は甘草2g/日以下にする事が発症予防につながると言って居られます。
20数年前漢方医学を志している旧知の薬剤師は甘草を炙って炙甘草にすると偽アルドステロン症のリスクを減らす事が出来るであろうと推論を言って居りました。そこで、当方担当のMRさんに尋ねてみた所、その様にリスクを減じる事が出来ると言っている先生は多くおられるとの事でしたがエビデンスは分かりません。
甘草と炙甘草の薬性の違いは、甘草は瀉剤(しゃざい)であり心火や所謂、熱火を瀉す作用があり、一方炙甘草は脾胃の不足を補い、上焦、中焦、下焦の三焦の元気を補うとされています。
傷寒論の中では70処方に甘草が含まれており、その内、甘草は少陰病篇に出て来る桔梗湯と甘草湯だけであとは全て炙甘草(甘草を炙る)を使う様指示している。
各メーカーの葛根湯始め68種類のエキス剤は炙甘草を使用しているかは不明であるが添付文書には甘草と表記されていますので炙甘草は使われていないと思われます。と言いますのも炙甘草湯の甘草は炙甘草と書かれている事から類推出来ます。
芍薬甘草湯は『傷寒論』太陽病上篇の最後に記載されています。参考までにその条文を記します。
傷寒脉浮。自汗出。小便數。心煩。微悪寒。脚攣急。反與桂枝湯。欲攻其表。此誤也。得之便厥。咽中乾。煩躁。吐逆者。作甘草乾姜湯與之。以復其陽。若厥癒足温者。更作芍薬甘草湯與之。其脚即伸。若胃氣不和。譫語者。少與調胃承気湯。若重発汗。復加燒鍼者。四逆湯主之。
問日。證象陽旦。按法治之。而増劇。厥逆。咽中乾。兩脛拘急而譫語。師曰。言夜半手足當温。两脚當伸。後如師言。何以知此。答曰。寸口脉浮而大。浮則為風。大則為虚。風則生微熱。虚則两脛攣。病證象桂枝。因加附子。參其間。増湯令汗出。附子温脛。亡陽故也。厥逆。咽中乾。煩躁。陽明内結。譫語煩亂。更飲甘草乾姜湯。夜半陽氣還。兩足当熱。脛尚微拘急。重与芍薬甘草湯。爾乃脛伸。以承氣湯微溏。則止其譫語。故知病可癒。
陽旦とは日中の事で陽旦病は太陽病(寒気がし、脉は浮いて、頭から首筋が強張って痛んだり、汗が有ったり無かったり、場合によっては関節が痛んだりする)を意味する。
そこで、太陽病では無いのに間違って太陽病だと軽々に弁じ、桂枝湯や葛根湯、麻黄湯、小青竜湯等を使い、誤って発汗した時は様々な害(症状)が出る。これは決して副作用では有りません。手足が氷の様に冷たくなり、両足が攣縮したり、煩躁してうわ言を言ったり、ダラダラと大汗をかいて心臓が止まりそうになったり、場合によってはそのまま死を迎えたりもする。
上記の処方の中で一番作用の弱い桂枝湯でさえ起こりうるのだから、ましてや麻黄湯、葛根湯、小青竜湯等は注意して弁証しなければなりません。
漢方の風 42号 AD(注意欠陥症)/ HD(多動症)
漢方塾…AD(注意欠陥症)/HD(多動症)
なかがわ漢方堂薬局 中川義雄
医学の言葉でADと言えば
- Alzheimer‘s Disease(アルツハイマー病)
- Atopic Dermatitis(アトピー性皮膚炎)
- Attention Deficit(注意欠陥症:注意欠陥障害)
を主に思い起こします。
Attention DeficitはHyperactivity Disorder(多動症:HD)の症状を往々にして併発しますのでADHDと並び称せられることが一般的です。
過去にアルツハイマー型認知症とアトピー性皮膚炎については以前に漢方医学サイドからの私見を漢方の風で書きましたが今回は注意欠陥障害/多動症について書いて見たいと思います。
注意欠陥症/多動症の症状は「不注意」「多動性」「衝動的な行動」といったものが知られておりますがその発症原因は定かでは有りません。
“脳の体積が小さく成っているから”や“左右にある海馬の形が非対称でその結果左右の海馬から出される脳波のネットワークが不均一になるのが原因”や“前頭前野に問題があるから”等の説が唱えられております。
ここでは大脳の前頭前野(ぜんとうぜんや)に問題がある説を取り上げて漢方医学的アプローチを書いて見たいと思います。
多様なストレスや不安感が続くと前頭前野の働きに悪影響を及ぼすと言われています。
前頭前野は人間らしさ、つまり思考や創造性を担って居り、反応抑制(行動を起こすときに不適切な行動を抑制し適切な行動を実行する)や、推論(生物は生存の為に外部環境において適切な行動の選択を迫られる。その際、過去に経験して得た知識のみから行動を固定的に選択するのではなく、それらを組み合わせて柔軟に行動をする事によって新しい事態に備える)等によって、判断力、適切な感情の発現などを主っています。この部分に問題が生じると注意力が散漫になり感情のコントロールが上手く出来なくなるとされています。
前頭前野に問題がある人は往々にして神経伝達物質であるドーパミンやエピネフリンが不足しており西洋医学では神経伝達作用を惹起するドーパミン製剤を投与して症状を改善します。
ドーパミン製剤は全身の神経の興奮度を高めますので、どうしても副作用を免れる事は出来ません。
副作用の一例としましては交感神経の働きを高めますので腸管(小腸、結腸)の働きを抑えて便秘を惹き起こしたり膀胱の平滑筋の緊張度を弛緩して排尿を阻害したりします。
一方、東洋医学では五蔵の一つである<肝>が自律神経始め精神状態をコントロールしていると規定しており、肝が不調になると情緒が不安定になりイライラ感が出たり、少しの事で怒りが表れたり、落ち着きが無くなったりします。従ってADHDの症状が表れたら先ず肝の陰陽に着目して弁証します。
肝の陰とは肝の血(けつ)であり、肝の陽とは気の働きであり気の流れを言います。肝の陰と陽はお互いに制御し合ったり、お互いを生じたりしています(陰陽互根)ので肝の陰(血)が不足すると肝の陽である気の働きが過剰になり怒りやイライラ感や落ち着きが無くなったりします。従ってADHDの漢方治療は先ずは肝の血を増やす薬草(地黄、当帰、酸棗仁、阿膠、竜眼肉、芍薬、鶏血藤等)を考慮し、気の鬱滞を疎通(そつう)させる薬草(柴胡、香附子、枳実、陳皮、半夏、厚朴等)も考慮しなければなりません。
又、<心>も精神活動に関わっていますので心の陰陽も考慮しなければなりません。
心の陰である心血を増やす上記の補血薬草を考慮し心の働きつまり精神生活を担保しなければなりません。
更に<肝>と<腎>は五行学説では母子関係に有り又、肝腎同源といって肝の働きが失調すると腎の働きに悪影響を及ぼします。
腎は成長、発育、発達、生殖を主って居りますので場合によっては補腎薬も考慮しなければなりません。
更に漢方医学では寒熱つまり、寒の症状か熱の症状かも弁証します。
熱証(熱の症状)になるとイライラ感が出てきます。従ってその方のイライラ感を熱証と捉えた時は熱証を取り去る薬草(清熱薬)で熱を取って気持ちを落ち着かせます。
又、気持ちを安定させる働きの事を安神作用といいます。
重鎮安神薬である竜骨、牡蛎を使う事も有ります。
肝の陽の気の上衝はイライラ感や怒りを惹き起こしますので、肝気の上衝を引き下げる薬草である釣藤(カギカズラ)を使う事もあります。
肝の失調がADHDの原因とした時、現代人は多かれ少なかれ発達障害を発症する可能性を持っていると言っても過言ではないでしょう。
(因みに今現在の統計では20人に1人がADHD症を持っていると言われています。)
片付けが出来ない人、人の話を最後まで聞けない人、自分の思っている事を話さずにはいられない人、話している間に自分が何を言っているのかが分からなくなる人、物忘れをし易い人等、私の周囲にも沢山の人がおられます。勿論、私も然りですが肝の失調を惹き起こすストレスが複雑に入り乱れている現代社会では益々後天的ADHD症は増えていくであろう。
最近、当方が優先道路を走っている時、右から明らかに狭い、狭小の道路から一旦停止することなく右折して来る車と衝突しそうになるケースを度々経験しています。これは前頭前野での「反応抑制」が出来ていない為ではないでしょうか。
漢方の風 41号 他力本願と自力本願
1、肺の働きと排便の関係 2、遠志茶と物忘れ
なかがわ漢方堂薬局 中川 義雄(昭)
日本の宗教では自力本願と他力本願があります。私の家は法然上人が布められた浄土宗ですので、他力本願になります。従って、只管(ひたすら)、南無阿弥陀仏を唱えると良いと菩提寺の住職から教わり、毎日仏壇に手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えています。他力本願とは言うものの毎日、経を唱えるのは己であるわけで、決して人様が自分の代わりに南無阿弥陀仏を唱えてくれる訳ではないのでこれ自体は狭義の意味で自力本願と言っても良いのかもしれない。自力で只管、経を唱え、その先の魂の世界は阿弥陀様におすがりしようと思っています。“人事を尽くして天命を待つ”又“継続は力なり”とも申しますのでこれからも毎日続けようと思っています。
一方、昨今の日本の風潮は専ら他力本願に頼っている様に思える。これさえ飲んでいれば食事制限をしなくてもダイエット出来る…もそうです。又、平成の始め頃、麻黄を買いたいのだが、価格はいくらですかと電話が有りました。問うてみるとダイエットに良いと週刊誌に書いてあったとの事。呆れましたが丁重にお断りしました。
更に最近気になっているのが認知症を防ぐ事が出来ると喧伝(けんでん)され“遠志茶(おんじ茶)”がブームになっている事です。中医学では「心は神なり」つまり心が精神を主っているとされ、遠志はその心に血(陰)を補う作用、つまり養心安神して心の抑制過程の低下(心血虚)を改善して物忘れを防ぐとします。心労が継続すると心の気血を消耗してしまい、その結果、健忘が発症する。心労が元々の原因と考えた時、その発症の原因(心労)を先ず解消する事が肝要であり、それが根治に繋がるのである。
荒木正胤先生は「漢方鍼灸の治療」を著すに当たって先ず“養生編”で東洋の栄養学である正しい食生活と不老長生術、正しい性生活の意義について説いておられる。治療に際しては先ず患家が正しい食生活なり、つまり養生を実践して後、或は並行して漢方治療を施すべしと説いておられます。養生は自力のなすところであり漢方治療は他力の為すところと言う事が出来る。
遠志茶だけを飲んだだけでは効果は期待薄。漢方医学では陰陽互根と言って、陰が陽を生じ、陽が陰を生じるとしており“陰”である遠志だけを摂れば良いのではなく陽である“気”を同時に高める必要が有ります。心の気血両方が充実して初めて健忘が解消されるのである。
端を更め、“気”について書いて見たいと思います。漢方医学では陰陽虚実の弁証と気血水の弁証を行って初めて処方を決定します。中でも“気”は形なくして働き有るものと、いつかの漢方塾で書きましたが、最も分かり難いと思います。中医学では肺は気を主(つかさど)り粛降(しゅっこう)と宣発(せんぱつ)を主ると規定しています。粛降とは下へ内へと働きかける事を言い、例えば尿と便も肺の気の粛降作用が働いて初めて下へ排出出来るのである。
最近、私の知り合いで年齢も私に近い方ですが、便秘で困っていると相談を受けました。近医に受診して下剤を処方されたが効果が全く無く、そこで当薬局で相談になった次第である。順気作用(小承気湯を処方内に含んでいて順気作用、つまり蠕動運動を高める)のある麻子仁丸をお薦めしたのですが効果が無く、そこで受診勧奨をして病院の消化器内科を係院した。そこでも満足に排便が出来なくて、そこで初めて精密検査(CT)をした所、肺に癌が転移している事が解った。そこで再度、当薬局に相談に来られた。肺の粛降作用が阻害された結果、排便がうまく出来ないと弁証して、生脈散と麻子仁丸を併服して頂き何とか排便出来る様になった。
生脈散は人参、※五味子、麦門冬で構成されていて、肺の気と陰を補う事が出来、粛降作用を高めて排便をし易くしているのである。勿論、呼吸が楽になったのは言うまでもない。
因みに宣発とは外へ上へと働きかける事である。
※五味子:専収斂肺気、而滋腎水
…専ら肺気を収斂して、そして腎水を滋す
麦門冬:徐煩瀉熱、消痰止嗽、生津行水
…煩を除き熱を瀉し痰を消し嗽を止め、津を生じ水を行らす
漢方の風 40号 ロコモティブ
ロコモティブ(腰痛、関節痛、ひざ痛、認知症)
なかがわ漢方堂薬局 中川 義雄(昭)
私の生家は創業160年の茶商で江戸時代に大名行列が行き来していた東海道(現在の京町通)に有ります。京町家(キョウマチヤ)と同じで、俗にウナギの寝床と言いますが「店舗兼用の母屋」と「離れ」の間には「庭先」と「蔵」が有って、更に「離れ」の奥(奥の事を「裏」と大津では言います)にはお茶の倉庫があり、表の店舗と裏の倉庫を、つまり「表」と「裏」をレールで繋いであって、その上を「トロッコ」が走っていた。
図式では、(表)店舗兼母屋-庭先-蔵-離れ-小倉庫-大倉庫(裏)
(表)店舗兼母屋……トロッコ(お茶を運ぶ)……大倉庫(裏)
表から裏迄約70メートル近く有りますので商品を倉庫から店舗に運ぶ為にトロッコが必要だったのである。第二次世界大戦までは男衆が7名と女衆4名とお手伝いさんが2名働いていたと聞いている。男衆は全員戦争に行ったので戦後生まれの私は知り得ません。江戸時代、その店舗の前を町人や武士が行き来していたのである。
ある時、薩摩藩の大名行列が京町通にやって来た。梅林(県庁の南側一帯をウメバヤシと言います)に住居するY青年(16歳)が行列の前を誤って横切り”手打ち”(切り捨てご免)になるところを当店舗に逃げ込んで来た。当時の店主の中川ミノが裏の大倉庫の茶箱の中にY青年を潜ませ、押し問答の末一命を救ったと当家では代々伝えられている。恐らく大倉庫の裏の塀を乗り越えて逃げて行ったとでも言ったのであろう。
江戸時代にその気丈なミノの長男として生まれた祖父は東洋の施術を心得ていて、本業の茶商の他に柔道整復師らしき整体や時には煎じ薬を使って困っている人に施術していたと聞いている。私は7人兄弟の末っ子で、私が生まれた時には祖父は他界しており私は知りません。桂皮、大棗等の薬草が家に有ったと兄から聞いていますので、恐らく桂枝湯加減や桂枝加芍薬湯加減を使って風邪、神経痛、関節痛、リウマチ等を治していたであろう事が察せられる。今の時代、この二つの処方の展開でこれらの症状は治しきれないと思います。取り分け腰痛や関節痛を治す事が得意だったと聞いているが現代漢方医術では前出の処方の他に独活寄生丸、疎経活血湯、?苡仁湯、通導散、防風通聖散、?帰調血飲第一加減、八味丸、地竜、附子湯加減…他が必要であろう。
最近ひざ痛のCMでよく耳にするイミダゾールペプチド(カルノシン)配合のロコモティブ製品は理に適った考えである。カルノシン(βアラニンとヒスチジンが結合したジペプチド)やアンセリンを摂取すると速やかに夫々のアミノ酸に分解され、骨格筋や脳へ運ばれて行き、速やかにイミダゾールペプチド合成酵素の働きでカルノシンに再合成される。このイミダゾールペプチド(カルノシン)は鳥の羽の胸筋部や回遊魚であるマグロの尾びれに近い部分に多く存在しており、筋肉の疲労物質である乳酸の分解を促し、又、強力な抗酸化作用を発揮して細胞内の活性酸素をスカベンジ(消去)して細胞の疲労を速やかに解消するのである。斯くして渡り鳥が1万kmをノンストップで飛ぶメカニズムが解明されたのである。
関節痛に対してグルコサミン、Nアセチルグルコサミンで軟骨の生成を促す(グルコサミン類は保水性のある軟骨の一種であるプロテオグリカンを生合成する為に必要な一成分)だけではなく関節の支持組織である骨格筋の維持にイミダゾールペプチドを同時に摂取する有効性、つまりロコモティブの考え方は重要である。
最近そのイミダゾールペプチド(カルノシン)が認知症の予防に係っているとする研究発表がなされている。筋肉の疲労を解消するカルノシンは生後、使い過ぎた脳の疲労をも解消し、認知症の予防になるのではないかと推論し、実験の結果それが立証されたのである。余談になりますが少し認知症と老人班とアルミニウムについて触れます。大脳皮質や海馬に沈着する老人班(アミロイド班)はアルツハイマー型認知症の原因と言われて久しいが最近の研究では老人班は結果であってアミロイド班が表れる前にβタンパクが神経細胞に沈着する。このβタンパクはアルミニウムによって凝集し、アミロイドβを作り出す。その結果、老人班が形成される(βタンパクを凝集させるアルミニウムはアジア大陸で発生した酸性物質が日本の上空で雨に溶けて降り、土壌を酸性化し、その結果土壌中のアルミニウムがイオン化して野菜に取り込まれ我々の口に入るのである。)
イミダゾールペプチドがロコモティブシンドロームのみならず、認知症に光明を持たらせてくれる可能性は高い。
前出のひざ痛や腰痛、下肢痛に使用する独活寄生丸(千金方)は八珍湯(去白朮)が処方内に含まれており、気と血の虚を補う一方、同じく処方内に含まれている桑寄生、杜仲、牛膝が筋肉と骨を丈夫にする(補肝腎、壮筋骨)作用を併せ持っている。独活寄生丸は当薬局の頻用処方の一つであり気血が虚している人にはとても効果を発揮する。
その独活寄生丸の処方内容を良く吟味してみると、1350年前(AD650年頃)に孫思?(ソンシバク)が千金方(センキンホウ)の中でロコモティブを実践していたと言う事が出来る。漢方医学は将来に亘って人類を救う一手段であると確信しています。生薬資源が枯渇状況に有る現在、エビデンスに則った漢方薬の使い方、乃ち弁証論治を肝に銘じなければならない。