Archive for the ‘漢方の風’ Category
12号 宮廷女官チャングムの誓いを見終わって(めまい・つわり)
当初、勤務薬剤師のTさんと家内が毎週楽しみにしていた『大長今』(テチャングム)は、私自身全く興味が有りませんでした。ある日、調剤室で、伏竜肝(ぶくりゅうかん)なる漢方薬が話題に上がりました(昨晩の放送で出てきた為)。その事がキッカケで私もその後、『大長今』を見ることになりました。ある漢方メーカーの手帳の小半夏加茯苓湯の効能を見てみますと悪阻(つわり)に効果あり、と記載されています。その小半夏加茯苓湯は、通常の漢方薬とは、煎じ方も服用法も違っています。私が、幼少の頃、生家には、釜戸(おくどさん)があり、その釜戸から屋根を貫いて煙突がそそり立っていた。母親の手伝いをして釜戸に薪(まき)をくべて、ご飯を炊いたりお湯を沸かしたりした思い出があります。その煙突には、煤がたまり煙突掃除屋さんなる職業も有りました。一方、釜戸には、灰土が貯まり、煙突へぬける空気孔が詰まらない様に、時々その灰土を掻き出し掃除をしたものです。その灰土を含んだ釜戸の土が即ち、伏竜肝である。小半夏加茯苓湯は、その伏竜肝を水に浸け、その上澄み液で、半夏、生姜、茯苓を煎じたものが本来の小半夏加茯苓湯であって、メーカーより発売されているエキス剤は、恐らくそうではないと私は思っておりますが…果してどうなのでしょうか。つまり伏竜肝の上澄み液で煎じた小半夏加茯苓湯は釜戸の灰土を含んだ土の成分が大きな役割を果たしているのである。又、一般的な漢方薬の服み方は、煎じた液を3回に分服し、しかも熱いうちに又は温めて服用するのが通例である。この小半夏加茯苓湯は“歩くこと一厘計りにて服用すべし”とあり、約一時間毎に服用し、杯に一杯ずつ、更に、冷まして服用する様に…と口訣に有ります。そのように調剤室でTさん、家内に説明した事がキッカケで、どんな薬草が出てくるか興味を持ったが為に、私もハマッテしまったのである。然しながら、番組が進む内に、脈を診る場面と鍼を打つ場面が多く見られるものの薬草はあまり見られず、特に私が志している日本の漢方とはいささか違っていた。一方東洋医学で最も大切な、全体観つまりホリスティックな東洋的手法は漢方の本質なのだが、その本質は全く同じであった。その本質をチャングムファンが分かってくれると良いのだが…と思っていたのですが、一般の人にとっては、やはり、そこの理解は、少々難解だった様です。
今から数年前エビデンス(根拠に基ずいた医療)に立脚した医療が叫ばれるようになった時、現代医療的感覚が絶対的とされ、漢方薬は、医療ではなく代替医療(Alternative)のカテゴリーに包含されてしまった。その代替医療である漢方薬が難治とされる病気に効果を発揮してくれる事は、何と皮肉な事であろうか。故青木先生から、「科学が迷信か、迷信が科学か、」そこが大切と、荒木正胤先生が、仰っていた…と聞いた事があります。 旧大津市内の年配の女性が、私の所のホームページを見て相談に見えました。主訴は、雲の上を歩くようなメマイである。ある病院でパ○シ○、リ○ゼ、ド○マ○ー○、ハ○シ○ン、メ○ス○ン、セ○ド○ル、イ○バ○ド、が処方されている。約一時間ご相談にのりましたが、一番大切な事は何が原因で現症を呈す様になったかであって、そこの所を考えた時、その患者さんが、如何なる生活をし、何を食し、如何なる環境で過ごして来たか、はたまた、如何なる性格か、間違った健康法を実践していないか、心に痞えているものはないか、更には、如何なる死生観を持っておられるか、等々問診するのである。その患者さんは、胃下垂があり、頭帽感があり、低血圧症で、仕事に、家庭にと一所懸命に働いてきた事等を顧慮して、半夏白朮天麻湯(加味方)の煎じ薬を服用していただいております。 最近になって、びわこ漢方サークルの受講希望者が増えてきました。いま、現在、太陽病下篇を終わろうとしている所ですが、(ここを終えると半分以上終えた事になる。)少しでも多くの方に、漢方を理解して戴きたいと願っております。(ご希望の方は、いつでもご参加下さい。)その為にも、次回の講習会では、少し、最初に戻ってから…と、思っております。
日本の漢方では、『証』を重要視します。証とは一種のカテゴリー分類であり、例えば、皆さんが、一番馴染みのある葛根湯を例に取りますと、脈が浮いており、寒気があり、項の凝りがあり、汗は出ていなくて、体力的には、弱っていなくて、(表実証といいます。慢性病の場合は寒気がない)の体質的カテゴリーの人がいた時、その人の現代医学的病名が何であれ、例えば、“蓄膿”“ニキビ”“下痢”“腰痛”“夜尿症”“リュウマチ”“扁桃腺炎”“蕁麻疹”“結膜炎”“頭痛”“頸肩腕症候群”“皮膚病”“母乳の出が悪い”“鼻炎”…等全て治るのである。最近、あるホームページを見ていたところ、防風通聖散は、決して肥満症の薬ではありません。それは一貫堂医学(明治時代に*森道伯先生が興した漢方理論大綱)がお腹に皮下脂肪がついている『重役腹』…を目標にした事から始まっているからと書いてありました。前回の「漢方塾」でも書きましたが、一貫堂医学では、決して重役腹のみを目標にしている訳ではなく、臓毒証なる『証』を目標にしております。テレビや様々なメディアでやせ薬としての位置付けで、宣伝しておりますが(証が合っていない事が多い為)、効果がない事の方が圧倒的に多く、むしろ、見えない‘害’が忍び寄っている事のほうがあるかもしれない。企業の倫理観が問われます。漢方薬始め医薬品を軽く見ては?大変な事になりますヨ?と言いたい。TVで、ヨーロッパのある国が、インドの綿花地帯で、布製品を(仕上がったショール等は、EU諸国でブランド物として、販売されている。)、劣悪な環境のもと、苛酷な労働を強いて、生産している状況をドキュメント放送しておりましたが、強烈な酸、アルカリの液の中で、素手、素足で仕事をしている人達や、重金属をため池に流し込んでいる場面等を見るにつけ、化学薬品を扱った経験のある者としては、空恐ろしさを感じ、同時に怒りを覚えました。企業の倫理観は、一体何処へ行ってしまったのだろうか。富める者が貧しい人達の犠牲の上に立っているのが、現実であるとナレーションは、結んでいた。この様に、今こそ、グローバルな世界観を持つ事が、大切であり、医療においても、全体的発想(ホリスティック)でなければならないのである。それが故に、なかがわ漢方堂薬局は“人に優しく、自然に溶け込む”を、理念としているのである。 *《森道伯先生:医者でもあり宗教家でもある。禅に参じ、真言に通じられ、霊的感覚を体得された医術家であった、と漢方一貫堂医学(医道の日本社) に書かれている。体質を三大証に分類し漢方治療を実践された。?血証体質、解毒証体質、臓毒証体質がそれである。防風通聖散は臓毒証体質に用いられ、大正から昭和の初期にかけて頻用されたが、最近は用いる機会が少ないと故星野良明先生より教わった。?血証体質には通導散、解毒証体質には柴胡清肝散、荊芥連翹湯、竜胆瀉肝湯を用いる。》
(大津市薬会報 2007年 4月号掲載)
11号 漢方の風 ー心変わりー(長期の鼻炎と微熱)
将来の進路を決断する時期が近づいていた頃、学年でトップクラスの成績を残しているA君は漸く進学校へ進む決心をした。音楽的素養を持って生まれたA君はその才能をいかんなく発揮して、最早、師を凌ぐ程の実力を持っていた。それまで、A君は、両親は勿論の事、学校の先生、音楽の師の全ての人生の先輩の反対を押し切って、進学校ではなく、音楽の道へ進もうと決めていたのだった。そのA君は通年性の鼻炎で、一年以上ある耳鼻咽喉科へ通院した。鼻洗浄と内服薬と頓服の治療を継続して受けていたにもかかわらず、使用済みのティッシュペーパーをポケットは勿論カバンにも一杯に詰め込んで帰宅する毎日であった。そのA君が母親に連れられて私の元を訪れた。小青竜湯加桔梗石膏、葛根湯加川キュウ辛夷、ある時は柴胡桂枝湯を、時を見て状態を見乍ら、投薬した。生真面目なA君は、私の指示を守り、頑張って服用してくれ、その甲斐あって、あれ程、頑固な鼻炎が、すっかり治ってしまった。それは私の力ではなく、A君の努力の賜物だったと思っている。将来を左右するA君の心変わりは、いつもの様に、音楽のレッスンにやって来た時だったと、後日音楽の師が私の元を訪れて教えてくれた。両親はじめ学校の先生も、A君の心変わりにホッとされたそうである。あれ程、周囲の反対を押し切って迄もの、頑ななまでの決心の翻意は、一体何だったのか、その音楽の師は、A君に訊ねてみたという事であった。それは、あれ程悩んでいた自分の鼻炎を救ってくれた漢方薬の確かさを実感し、自分は将来、医師になって、様々な病気で悩んでいる人達を漢方薬で治してあげたいという事であった。そこで、あのA君の心変わりをさせた薬局の薬剤師はどんな人物か、とても気になって、その音楽の師は、当薬局を訪れたのであった。その結果、上述の全てを私も知ったのである。A君の事だから、10数年後必ず、りっぱな漢方医になってくれるものと確信を持っている。 数年前、S中学の学校薬剤師を任命されている関係で、S中学の総合学習の授業で話をして欲しいと、校長先生から要請があり、話しをさせて頂いた事があった。高校時代のラグビー部で培った気魄の事、又薬学部へ進み、製薬メーカー、勤務薬剤師を経て、漢方薬局を開設する迄の努力の事等、話をさせて頂いた。貝原益軒の「なせばなる、なさねばならぬ何ごとも、なさぬは人のなさぬなりけり」と説いて、努力の大切さを話した。いじめが社会問題となっております。約60%の生徒が、いじめた経験があり、その殆どの生徒が、いじめられる側が悪いと言い放った。又、ある時は、先生自らがいじめを行っていた。嘗ての大津市薬会報で、それは、魂の問題と私は書いた。この原稿を書いている約1ヶ月前、ある中学校の女生徒が、私に診を乞うてやってきた。見た目以上に、又、思った以上に彼女はしっかりした考えを持っていた。一人の人間として向き合った時、私はそれに気がついたのである。又、更にその1ヶ月前、ある精神科の医療施設で、漢方薬の講演を依頼された。何を話そうか考えぬいた揚句、NEETと呼ばれる人達の事を漢方的に話した。ほとんどの人は、自分の価値観で物事を判断するのである。その価値観の平均値に近い圧倒的大多数が正義であり、赤信号も皆で渡れば平気で渡れるのである。茗荷村の創始者である田村一二先生の言葉に「自とは、他の存在があるから、自があるのであって、つまり、他に自は生かされているのである云々」といった内容のものがあります。精神疾患と診断された患者さん、NEETと呼ばれる人々、親子の断絶で苦しんでいる人々等。東洋的手法で向き合った時、つまり、価値観の平均値に近い圧倒的大多数ではなく、陰陽虚実的で、全人的で、宇宙的見地で、向き合った時、真実が明らかになり、救われる人が沢山おられるものと常々思っている。長年の微熱で仕事に通えなかったBさんは、父親から根性がないと叱責をあび、親子間には深い溝があった。現代医学的にはとりたてて問題なしと聞かされた父親からすれば、根性論になるのである。あるキッカケでその父親が当店を訪れ、漢方医学的にその病気の性質(漢方では証という)について説明した所、父親は、自分の考え違いに気がつき、その結果、息子さんであるBさんは、柴胡桂枝湯加黄耆茯苓で平熱に戻り、職場復帰出来た。
(大津市薬会報 2007年 1月号掲載)
10号 漢方の風 ーうつ病ー
バイオリニストの千住真理子さんがボランティア活動を実践されている事は、ある施設に訪問演奏された事を聞いていた時から知っていた。その施設の職員さんは、単にバイオリンの好きな女性が腕だめしに奏でに来ていると思っていたらしく、私が彼女の略歴を教えてあげた所、驚いた表情を見せていた。小学生の時に、天才と言わしめた彼女は、父親の期待を一身に受け、一日のほとんどの時間をバイオリンの練習に励んでいた。ところが、絶頂期を迎えていた20才で挫折を覚え、数年間バイオリンには一切触れなかった経験をしておられる。正に鬱的症状も出ていたらしく、最早、家族もバイオリニストとしての彼女の将来を諦めていたと述懐しておられた。その彼女を立ち直らせたキッカケは、ホスピス病棟での、ボランティア演奏だったとの事で、死を目前に迎えた患者さんに、同じく絶望の淵にいた自分が満足に演奏できなかった事が、ボランティア活動の・・・ひいては立ち直るキッカケになったとTVで話しておられた。
私は、何故彼女がストラリバリのデュランティを手に入れたかは、知らなかったが、フランスの貴族であるデュランティ家から、最終的に、彼女が選ばれたとの事であった。幼少の頃、一日14時間も練習に励んだ事も努力家である彼女をして選ばしめた一因であったと私なりに勝手に想像している。
その鬱的症状は、逍遥散や柴桂湯、柴胡疎肝湯、大柴胡湯、等の四逆散の変方とされる処方群や、香蘇散、分心気飲、半夏厚朴湯、柴胡加龍牡湯、防風通聖散等を選用すれば、良く効いてくれます。
モーツアルトがもてはやされている昨今、彼女はバッハが好きで、好んでバッハを演奏するそうです。彼女の一番好きな言葉は、バイオリン、ギター、ウクレレ等の共鳴板の中の支えとして入っている“魂柱”だそうです。
上記の防風通聖散が、depressionに効果がある事はあまり知られていないのではないでしょうか。構成生薬からみてみると表と裏に倶に実の状況で、5月病や、月曜病等、又、ストレス性の喘息にもよく応じてくれます。TVでのCMで脂肪太りに“防風通聖散”とは、全く恐れ入っております。私の近所のDBの患者さんで防風通聖散がぴったり効きそうな方は、脂肪太りではなく、筋肉質の体型をしておられます。関東の患者さんで統合失調症と喘息とアトピー性皮膚炎を併発しておられる患者さんには、防風通聖散と通導散を合方して頂き良い結果を得ています。 ところで話は変りますが、医療保険の世界では今やジェネリック医薬品が医療費の削減には欠かせない存在となっておりますが、あるメーカーの5月号の情報誌に貝原益軒の養生訓の一節が記載されております。『東垣が曰く、細末の薬は、経絡にめぐらず、只、胃中臓腑の癪を去る。下焦の病には大丸を用ゆ。中焦の病は、之に次ぐ。上焦を治するには極めて小丸にす。丸薬、上焦の病には、細やかにしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は小丸にして堅かるべし。下焦の薬は大丸にして堅きがよし』
医療受給者の納得を得る為と、医療経済の視点とから、先人の知恵の剤型の大切さを、我々薬剤師は、注意を払う必要があろう。私自身、多くの患者さんを見るにつけ、麻子仁丸料エキス顆粒と本来の麻子仁丸の丸剤との効き目の違いを実感しているところである。(DB:糖尿病)
(大津市薬会報 2006年10月号掲載)
9号 漢方の風 未病(妊娠中毒症・風邪のこじれ)
黄砂について知ったのは、中学生の授業であった。中国甘粛省の砂漠化が深刻化し、近年黄砂の降る量が増えている。中国本土は当然として、韓国京城の被害は、甚大だそうである。その砂漠化に応じて、生薬の生産への被害も出ているとの事。その砂漠化による影響を遥かに凌ぐ影響といえば、生薬の乱獲だそうである。元はと言えば、日本での、漢方エキス剤の使用の増大が、遠因の一つになっているとも囁かれている。五味子、遠志に至っては、80年台と比べ90%減少したと、chuui.comには書かれている。漢方エキス剤の薬価が下がる一方で、生薬原料の高騰があり、保険収載の扱いが難かしくなる局面はそう遠くないかも知れない。八味地黄丸に処方されている山茱萸は、中国、朝鮮半島で収穫される。実を使用するのだが、中の種を抜き取る手間は想像に難くない。中国経済の上昇を眼のあたりにして見ると手間のかかる生薬の価格の高騰も必然性がある。
一方、海での乱獲が叫ばれている動物生薬にタツノオトシゴ(Sea Horse)が絶滅の危機に瀕している(絶滅危惧種に指定されている)。フィリピンの島々のサンゴ礁に多く棲息している。香港でのマーケット(日本とも結びついている)の要望にせきたてられ、地元の漁民は、体長10cm以下のもの迄、全て捕獲してマーケットに出すのである。1kgが約2万円の値がつくそうである。中国では喘息、更年期障害、ED等に用いられ、日本では、ドリンク剤に多く配合されている。思うままに食べ思うままに遊び、揚句の果てに、疲れたから海馬入りドリンクを服むのである。人間の果てしない欲望の餌食になっているといっても過言ではない。中医学の言葉に理法方薬がある。法に理って生薬を処方するのである。法とは乃ち、全ゆる東洋医学の知恵の集約と言い換える事が出来る。
因みに、タツノオトシゴは、オスが赤ちゃんを産み(育てる)ジェンダーフリーの実践派でもある。亡き妻との約束事でもあり、この4月より保険調剤を辞退し、新たに漢方専門薬局を立ち上げた。以前当薬局の担当者であったMRのAさんはお弔みと開店祝いを兼ねて、身重の奥さんと子供を連れて、やって来た。その時の感想をAさんは、自から発行している“F通信”の5月号に記載している。奥さんは妊娠8ヶ月。心配性の奥さんは、舌に黒い斑点が出ているのをつい最近気づいたのである。その心配たるや相当なものであるが、ご主人(Aさん)は、お血やからそんなん心配しなくても良いと、インターネットの画面を開き乍ら説明したそうである。その説明では悩みを払拭出来ず私に相談となった次第である。頭痛とひどい肩こりが辛いとの事。そこで、問診となったのであるが、浮腫みと尿の出方を確認した所、見た目には浮腫んでいないが、尿の回数が20回と多い事が判明した。このままで行くと必ず浮腫む。乃ち妊娠中毒症になる可能性が充分ある。所謂る未病である。ここで、当芍散と五苓散を交互に服用する様指示をした所、3日目で尿回数が減り、5日目で頭痛、肩こりが消えた、2週間目から舌の黒点が薄くなってきたと“F通信”では絶賛している。
若し私の所へ来ていなかったら、“ヤバイ事”になっていたかも知れないと思っているのは私だけである。仕事柄、“人”を観察してしまう癖がある私は、連れて来た子供が気になって仕方がないのである。そこで何気なく、問診した所、納豆を食べさせると口がはれるとの事等が聞かれた。その間、しきりにペットボトルのお茶を欲しがるのである。又水洟が少し出ている。昨年末に尿道炎をおこしたが、漢方的治療は、行っていない、近医の小児科で抗菌剤を処方して頂き、治ったとの事も分った。小柴胡湯と小建中湯を服ませる様指示をして、その家族は帰った。“F通信”では7日目で納豆を食べさせても、口が赤く腫れなくなった、水洟が止まり、お茶の量が減った事も書かれている。未病の観点から言えば、そのお子さんの将来に立ちはだかる“ある部分”は、払拭出来たと私だけが思っている。 生前Aさんの人柄が気に入っていた妻がその家族を呼び寄せたと信じて止まない。安産をお祈りします。
(大津市薬会報 2006年8月号掲載)
8号 ペンギン堂経験記(アトピー性皮膚炎・子宮内膜症・子宮筋腫)
▲エピソード1) 手指のアトピー性皮膚炎で悩む看護助手の女性
患者は病院勤めの50歳代の女性で、医療用具の消毒薬を使用する必要から、恐らくそれにかぶれたのであろう。見ると、所どころひび割れがあったり、ガサガサで皮膚が剥離して赤むけ状態の所があったり、所どころ分泌物が出ていて痒みが強く、一見して、正視出来ない程の気の毒な皮膚炎であった。患者は子供の頃からの汗かきで、特に頭に汗をよくかく。又、夜間、尿が一乃至二回ある。便秘気味で、ガスがよく溜まり、硬便を排便する。仕事がハードである為か、疲れ易く、睡眠は熟睡との事であった。漢方的診断で重要なのが、汗の有無と発汗する状態、そして排便の状況である。恐らく発症前は、手に大量の汗をかいていたと推察出来るが、今は手の汗腺がやられ、却って乾燥している。更に質問を重ねた所、人よりも手が熱いという事が分かった。最初、小建中湯と桂苓丸料に、別に知母・地骨皮を加えて服用願った。地骨皮はクコの根皮で、知母共々、手の熱、(煩熱という)をよく取ってくれる。次いで黄ぎを加えて再服して頂き、約四割方改善するも、汗は続いている。痒みもまだあるので、最終的に加味桂枝湯と消風散を兼用して頂いた所、まるで別人の手の様に奇麗になった。コーヒーとパン食を禁じ、米飯に切り替えて頂いた事も見逃せない。
▲エピソード2) 子宮内膜症を併発した不妊症の女性
患者は長崎県佐世保市に住む36歳の女性で、遠隔地である為、FAXで問診を送付頂き、後はそれを元に電話で証の確定を行った患者さんである。ご主人の精子にも問題があり、妊娠はほぼ不可能である。ご主人は特に子供が欲しい訳でもなく、その後、自らの不妊治療は極めて消極的で、夫婦間の温度差は歴然としている。とにかく、奥さんの不妊を睨み乍ら内膜症の治療をする事になった。訴えは、激しい生理痛と時々生理が遅れる事があり、膣周りのカンジダによる痒みが時々起る。肩こりが強く、足先が冷え、腹が張りガスが溜まる・・・等の訴えがあった。最後に、不可欠な質問事項の汗はなく、便はかなり出にくい事が分かった。以上を漢方的に診断すると、子宮がかなり冷えている事が想像出来る。これは「お血」のなせる業と考え、桂苓丸料に牛膝と延胡索を加えて煎じて頂き、寝る前に桂苓丸加大黄を一回服用して頂いた。最初の30日分で、生理痛がかなり改善し、合計120日分服用後、主治医の診断の結果、悪い所見は全く無く、いつでも妊娠可能と太鼓判を押された。
▲エピソード3) 手術を薦められた月経過多出血を伴う子宮筋腫でお困りの女性
患者さんは、平成元年にペンギン堂を開店して間なしの患者さんで、大変苦慮して治癒できた思い出深い治験である。昭和24年生まれの方で、来局された時は血色素6.8で、立っているのも大変と思われる程貧血が強かった。立ち眩み、朝の目覚めの悪さ、便秘,下腹部の張りが強く、何よりも筋腫(手拳大)による出血過多で、HRT療法も過日受けていたとの事で、最早、手術しか打つ手がない様な状況であった。どうしても手術したくない理由で、当店の漢方になった訳である。 又、激しい生理痛もこの患者さんを苦しめていた。先ず当帰四逆湯と牛膝・延胡索を同時に煎じて頂いた所、生理痛はほとんどなくなったが、出血量は相変らずで、折衝飲や十全大補湯・?帰膠艾湯等を経て、考え抜いた末、使ったのが温清飲と折衝飲と三七人参の併用であった。生理痛・出血が止まり、長服の結果、いつの間にか筋腫はなくなっていたのであった。
(大津市薬会報 2006年4月号掲載)
7号 魂(何故現代の若者はキレるのか?)
魄の話は以前の漢方塾で書いた事がありますが、今回は魂についてふれてみたいと思います。
金田一京助・国語辞典を引いて見ると、魂とは生物の肉体に宿り、精神作用を受け持ち、生命を保つと考えられるものとあり、気力、精神とあります。一方、漢方用語大辞典では、魂とは、人の精神の働きの一種、肝が血を蔵さなかったり、肝血の不足によって、魂は神に随わず動き、無遊、うわごと等の病証を現す。肝は魂の居所也。神に随いて往来する者、これを魂という。魂傷らるれば狂忘して精せず、精せざれば人に当たりて正しからず、陰縮まりて攣筋し、云々とあります。つまり、正しい精神生活(普通の日常生活をも含む)を過す為には、魂は必要不可欠であり、肝(肝血)が正しくなくては、魂は精神活動に一致せず狂忘する事になる。さすれば、肝血を蔵す事が最も大切と考えて良い。漢方の臨床では、陰と陽の均衡を弁証する事になる。
最近食育が地域、職場等で脚光を浴びておりますが、最近のTV番組でその食育の討論番組が放映されていた。パネリストの一人に、某巨大ファーストフードのトップが招かれていた。日本は民主主義国家で全てにチャンスを与えるものだと変に関心したりしておりました。アメリカでは、HIVの騒動があった凡そ20年程前に、大統領の諮問機関が食育の問題を取り上げ、東洋の食を取り入れるべきと答申を出している。それは、日本の討論会の議論がどこかズレている感がある。然し乍ら、今の乱れた食事からすれば有意義な討論会といえるだろう。若しかしたら、その先を考えた第一歩であれば良いのだが・・・。
亦、water crisisなる番組では、1kgの牛肉を生産する為には20屯の水が必要になると放送していた。良質な牛肉を生産するには、とうもろこしが必要であり、砂漠を農地として使用する為である。水量のcrisisもあり、事は重大である。科学者として我々薬剤師の特性が、一隅を照らし光明を見い出す手助けになればと願っております。
私の大学での友人が、海苔の研究に携わっております。海苔にはビタミンDを除く全てのビタミンが含まれている。しかも人間が必要なミネラルも全て含まれており他に血圧を下げるペプチド類、癌細胞のアポトーシスを促したり、新生血管の抑制に効く物質も含まれている・・・と同窓会の席で教えてくれた。トレースエレメントの豊富なものは、色素やミネラル等が共に存在し、見かけは黒い物が多く免疫に効果的と中医学では言っていると私も友人に話したが、彼は、非科学的な事を言っていると思ったに違いない。
福田一典先生の「漢方がん治療」では、八味丸や六味丸を多用されている。末期ガンの患者さんは腎が虚しているとの理由からである。勿論補気薬、駆?血薬、抗ガン作用のある薬草も駆使されておられる。要するに、何を食するかが、確かな魂を包含した精神を作り、癌の予防にもなり得るのである。私がアトピー性皮膚炎の患者さんから診を乞われた時、過去の食生活をしっかり問診するのは、最も必要な情報の一つだからである。先天性の問題も吟味し乍ら食育を考えているのである。口が渇き、甘いものを好み、冬では寒がりで、のぼせ易く、といった患者であれば、小建中湯に黄蓍を加えて主処方とする。結局は、薬食同源が根本であると考えているからであり、何を多く食したが、今のアトピーを引き起こしていると考え、それを是正するのである。腸管の状態も同時に見据えているのである。
話は変りますが、クラシック音楽に興味のある私は、忙しい合い間を縫って、ウィーンへ旅した。ついでに、当地の薬局も2軒訪ねて見た。家内が目が乾燥して辛いというので、通訳を通じて訴えた所、アポテーカ(薬剤師)は、こちらの訴えをじっくりと聞き、長期に使うのか、短期なのかを聞き、少しで良いと言ったら、その若い女性のアポテーカはニッコリと頷き、私達が見ている奥の調剤台の引き出しからその目薬を取り出し、丁寧に使い方を教えてくれた。そのゆったりとした穏やかな一連の動作は、安心感を与えてくれるし、同時に誇りを感じた。未だに、この様な薬局(アポテーケ)がこの世にあるのだと感心し、日本でのコンビニでの販売云々の議論のナンセンスさを身にしみて感じた。
(大津市薬会報 2006年1月号掲載)
6号 こむら返り
以前入会しておりました、日本漢方協会の季刊誌に、この様な記事がありました。証をきちんととって、漢方薬を服用して頂き、症状が取れた時、その寛解さをきちんと認識して、喜びの表現をされる方と、まちがいなく証をとり、思い描いた通り治療出来たと、こちらが思っていても、漢方薬で治ったとの認識がなく(認識があっても表現しない方もおられるが)、ただ、自然に、勝手に治ったと認識される方と二通りのタイプがある。概ね、前者のタイプは、実証の?血者に多く、後者は、虚証者に多い・・・と。私も全く同感である。治療出来た満足感は、どちらもあるものの、その比はやはり前者の方が強い。その点において、私はまだまだ漢方の世界ではひよこなのかも知れない。 16年前、漢方薬局の看板を揚げた時、ある先生からは、漢方相談を受けた時、その処方が合わなかった時の為に次の処方も考えておきなさい。出来ればその次の処方も考えておきなさいと教えられた事があります。AにしようかBにしようか、それともCにしようかとほとほと迷う事があります。その時点では、Aが良いと思い投薬したものの、患者さんからは、漢方薬は効かない、或いは自分に合わないと言ってそれで終わってしまう事がよくあります。その時点で、元に戻ってよくよく考えた時、Bなる処方の方が間違いなく効いたかも知れないと思い返す事がよくありますが(勿論、問診での一言が足りなかったばっかりにと思うことが多い)、それは最早あとの祭りである。結局その患者さんは漢方を諦め、現代医療に戻ってしまうのである。その時の私の胸中は内心忸怩たるものがある。肌が合う合わない問題なのかそれとも私の不徳の致す所なのかも知れない。出来るだけ1stチョイスでの治癒確率を高めねばと常々思っている。漢方の世界では、その漢方家の持っているレベルの高さに比例して、難易度の高い患者さんがやって来るものである。10年前の治癒確率と現在の治癒確率を比較した時、10年前の方が高かった様に思うのは、その様な理由からであろう。それ故、漢方は、一生涯(半生涯が正しいかも知れない)を費やす事になるのである。 話は変りますが、この8月よりH17年度びわこ漢方サークルを月1回のペースで始めました。傷寒論を最初から最後迄を目ざしております。宜しければ、途中からでもご参加下さい。その傷寒論の太陽病扁に出ている、芍薬甘草湯について書いてみたいと思います。産婦人科の漢方治療なる本を読んで見ると高プロラクチン症に芍薬甘草湯が効果があると書かれている。陰陽虚実、方証相対も何のその、芍薬甘草湯が良いというものである。渡辺武先生の平成薬証論には、芍薬の寒熱度はマイナス1で、「主腹痛」「除血痺」「利小便」とあり弁証の大切さが伺える。効けばそれで良いと言われれば、言葉を返す気はないが、少々荒っぽい気がしてならい。亦、院外処方箋を応需していると、年に1から2回芍薬甘草湯の処方箋が迷い込んでくる事があると思います。大略、腓腹筋の攣縮を目標に処方されている場合が多いと思いますが、その芍薬甘草湯は「傷寒論・弁太陽病脈証并治上第五」にあります。「傷寒、脈浮、自汗出でて、小便数、心煩し、微しく悪寒し、脚攣急す。反って桂枝を与え、其の表を攻めんと欲するは、此れ誤りなり。之を得れば便ち厥し、咽中乾き、煩躁して吐逆する者には、甘草乾姜湯を作りて之を与え、以って其の陽を復す。若し厥愈えて足温なる者は、更に芍薬甘草湯を作りて之を与えて、其の脚即ち伸ぶ。」とあります。要略すると陰陽倶に不足、及ち陽気不足(冷え)があるから小便数であり、陰気不足があるから脚攣急するのであり、陰陽不足する時は、汗を発してはいけない。若し桂枝湯で発汗すると陽気を損ずる事になり、咽が乾いて吐逆したりする。その様な際は、甘草乾姜湯で損った陽気を回復すると良い。さすればそれだけで、足攣急は治る事が多い。それでも治らない時は、芍薬甘草湯を与えると良いと言っており、軽々に芍薬甘草湯を使ってはいけない事を言っているのである。 10年程前になりますが、市薬の新年会だったと思いますが、元大津保健所所長の辻先生に講演をお願いした事があります。先生は、こむら返りを軽く見てはいけない、往々にして痴呆症(今では認知症)の前ぶれになる事があると話され、カルシウム不足がその背景にあると説明されました。※ たかがこむら返り也、芍薬甘草湯を与えれば、それで良いとは傷寒論では言っていない。総合的に判断して、弁証論治すれば、乃ち認知症の予防にもなるし、ADLを高めることにもなるのである。されどこむら返りである。 ※(カルシウム剤の中で一番吸収が良いのは炭酸カルシウムであるとの説明もありました。) (大津市薬会報 2005年10月号掲載)
5号 衆方の祖(西洋医療と漢方の違い・人間へのやさしさ)
漢方薬局を標榜していると様々な相談がある。中でもメディアが放った○○○に効果がある薬草がありますか、と言った内容のものが一番多い。例えば、麻黄が欲しいというものもあった。何の目的に服用するのか尋ねて見ると、痩身の為との事である。
それは、ある週刊誌に書いてあったというもので新陳代謝がよくなり、結果、やせるというものである。麻黄が配剤された代表的処方は、麻黄湯や葛根湯であるが、どちらも実証若しくは中間証に使用するものである。その根拠は、主薬である麻黄に拠る所がある。麻黄を、一味で寒の邪を駆逐出来るものではないがエフェドリンが係っている事は疑いの余地はない。近年、アンフェタミン等の原料としての可能性から、輸出入が問題化している時代背景の時節柄、痩身の為に、単味で煎じて服用すれば良いとは正に言語道断である。
そもそも、漢方という言葉は、中国、朝鮮半島にはなく、日本独自のもので、漢の国(中国)の処方が語源とも言われている。処方とは、様々な薬草の組み合わせであり、単味で使う事は例外(甘草湯等)を除いて、殆どない。びわこ漢方サークルで、桂枝等の説明をしたあと質問がありました。桂枝湯の使い方の説明は訳ったが、結局の所、所詮、経験学であり、根拠のないものではないか?つまり、科学的ではないのではと言った主旨のものであった。
桂枝で血管を拡張し、汗を出させ、気化熱を奪わせて解熱する。つまりNSAIDで発汗解熱すると似たもの考えてよい(体温調節中枢の閾値の低下の結果発汗すると似たもの)。果して、発汗しっぱなしで良いのか?・・・と古代の中国人は考えたのである。そこには、人間の生理機能を深く考えた、妙味があるのである。彼らは、汗をとても大切に考えたのである。人間には、陰なる物質(ここでは血液、リンパ液、組織液、細胞間液等)があって、汗として発散したあとは、当然、陰なる物質は、絶対数が不足するであろう事を予感し、その結果、芍薬、大棗、生姜、甘草が加味されたのである(詳細は省きますが、これらの薬草が陰なる物質の不足を補おうとする)。
漢方は、人にやさしくないと駄目と嘗つての市薬会報で申し述べましたが、NSAIDの様に、発汗しっ放しで良いとは大きな違いがある。芍薬の意義、大棗、生姜、甘草の意義が夫々、存在するのである。汗を発して、それでいて、汗を止める妙味(解肌作用)があるのである。つまり、発汗後のケアー迄も考えているのである。その桂枝湯を応用、変化させて、様々な疾病が治療出来る。その為、日本の古医方家達は、桂枝湯を衆方の祖と言ったのである。
T社の漢方調剤研究3月号に記載してあるコラムをご紹介したく思います。物の数え方というタイトルがついている。羊は一匹二匹・・・、山羊は一頭二頭、蝶々は、ありふれた蝶は一匹二匹、珍重される蝶は一頭二頭と数えるそうである。ある時は大きさを規準に、又ある時は、価値感によって数え方が変わってくる。要するに尺度次第で変わるという事である。東洋医学でいう、陰陽虚実、寒熱といった尺度も絶対的なものではなく、人夫れ夫れなのである。つまり個々人によって尺度は変わるのである。体温計で計って、39度だから、抗生物質なり、解熱鎮痛剤が投与される現代医学とは、尺度が違うのである。
ある人は、壮健な体質だから、強力な発汗剤(例えば大青竜湯)、虚弱体質なら、桂枝二越婢一湯を使う。又同じ人でも、その時の状態によっても、処方が変り得るのである。発熱しているからと言って、水枕で頭なり体幹を冷やすと言った一元的ではないという事である。
ご近所の○○さんが、39度の熱で寒がっているお孫さんを医院へ連れていった時の事である。39度の発熱だから、素肌にして熱を発散させる様に若いドクターに指示をうけたそうです。○○さんは、その若いドクターに、言い放った。この寒空に、発熱していない(寒くない)大人である貴方だって、寒くって素肌になれないだろう・・・と。
西洋医学にも、出来るだけ「個」の医療を取り入れなければならないと思いますが、ガイドラインとの整合性もあり、難しい局面に立っている場面もあり得る事は、想像に難くない。
(大津市薬会報 2005年8月号掲載)
4号 気魄(人生は努力の繰り返し・漢方は風邪を引きにくくする)
高校時代、ラクビー部に所属した私は、正月のラクビー大学選手権が一番の楽しみである。取り分け同志社大学の熱烈なファンである。昨年の大会で早稲田大学に惜敗して以来、私の気持ちの中では、打倒!早稲田を目標に一年間頑張って来た。大学選手権の予選は、年末から始まり準決勝が1月2日国立競技場で行われる。果して捲土重来を期すべく、今年も早稲田大学と対峙したのである。そして両校のフィフティーンが、グランドに立ち、セレモニーが始まった。先ず早稲田大学の校歌が国立競技場に鳴り響いた。テレビでは、早稲田の選手達をアップで取らえる。その表情には正に「気魄」がみなぎっていた。 中でも2人の選手は大泣きしており、アナウンサーも、しっかりその場面を描写していた。私としては厭な予感がしたものの、それにも増した気魄を同志社大学に期待した。が、次の画面を見た瞬間、私は、愕然とした。全く気魄が感じられない。結果は大敗で、私の見た所、試合前に決着はついていたも同然である。
高校時代の初めての試合の初めての本番でのタックルに飛び込んだ時の衝撃は、それ迄に経験した事のないものであった。眼前の火花と共に暫くの間、意識を失っていた。気がついてみると全く別の場所で試合が進行しており、結局その試合では、その後、全くタックルが出来なかった。私はその後、気魄の大切さを学び、練習を重ね相手を倒す事が出来、チームも一定の栄光を勝利する事が出来た。
そこで、気魄について調べて見た。漢方医学大辞典では、魄は、精神意識活動の一部分を言い、本能的感覚と動作に属す。例えば、新生児の吸乳と啼哭(ていこく)など、又、冷熱痛痒感覚と体幹肢体の動作などをさす。この種の働きは、人体の物質的基礎を構成する精と密接な関係があるとあり、精が足りれば身体は健全となり魄も宜しくなる。魄が十分であれば、感覚は敏感となり、動作も正確となる。更に精は、人体の構成と生命活動を維持する基本物質である。人体を構成する部分を先天(生殖)の精、生命活動を維持するのに必要なものを後天(水穀)の精という-中略-精気が絶えず消耗されると水穀の精の生成、補充を促す。精が充足すれば生命力は強く、外界の変化に適応し病気になりにくい。精が虚すれば、生命力は減退する、云々。水穀の精を補充すべく、肺と脾胃の確かな働きを基本に毎日のひたむきな練習と努力があれば、魄は研ぎすまされ、自ずと気魄が醸し出されるのであろう。
過日、泉下に旅立たれた河野先生との初めての出会いは、私の大学の入学式後のガイダンスの時である。当時、先生は、執行部の委員長をされており、在校生を代表して壇上にたたれたのである。はっきりとは憶えておりませんが、美辞麗句を並べた挨拶ではなく、入学した事の満足感は捨て、これからの学生時代を如何に過ごすかが大切であるといった内容だった様に思います。その言葉に緊張感を憶え、先生の気魄を感じ取りました。亦、在宅介護医療部の理事をしていた時の三師会協議会の席上、在宅患者さんとの薬剤師の係りやかかりつけ薬局の説明をした時の矢継ぎ早の医師会の先生方の質問に、私がたじろいでいる時、先生はマイクを取って、この様に話されました。”薬剤師が新しい試みに、不安もあるが、誠心誠意努力しようとしている所であり、じっくり見守って欲しい。その後、皆様の質問に誠心誠意お答えする”と。会場は一瞬の静寂の後、次の議題に進行した。会議のあと河野先生は私の所にやって来て、”中川、今日の会議は良かったナアー、今迄の三師会の中で一番良かったヨ”と仰って下さいました。正に先生の真骨頂である。先生との憶い出は、一杯ありますが、先生の一面を披露して、これで終わりたいと思います。心よりご冥福をお祈り致します。
話は変わりますが、今年も例年通りインフルエンザが流行り出した。心疾患を持つ70才代の女性は、柴胡姜桂湯、更年期症状らしき異常発汗をする女性には、炙甘草湯と柴胡姜桂湯、子宮筋腫を患っておられる50才台の女性は柴胡桂枝湯、精神疾患の患者さんには加味逍遥散、或いは抑肝散、扁桃腺を持つ5才の女の子には小建中湯、アトピー性皮膚炎で来店された京都の20才代の男性は荊芥連翹湯加減・・・と様々な患者さんがおられます。皆様が異口同音に仰られるのは、周囲全員が風邪を引いているのに自分だけが風邪を引かない、又例え引いても症状が軽くてすむ・・・とこれは前出の精を各々の処方が充足させているからであろう。
(大津市薬会報 2005年4月号掲載)
3号 耳と腎虚(難聴・慢性中耳炎)
それは、正に奇跡であった。否、奇跡というより奇跡的と言った方が良いかも知れない。便秘で悩んでおられる60才代後半のその男性は、左耳の聴覚を、20数年前より失っていた。 それは、中耳炎をこじらせ、炎症が治まったときには、全く聞こえなくなっていたというもので、それからというものは、右耳だけに頼って、生活をしておられた。主訴は、便秘なのだが、来店された時には、残された耳には補聴器が装着されており、私との会話も、若干、不自由さがあった。 他の、問診のやりとりから見て、地黄の沢山入った漢方薬を服用して頂いた。便通が良くなり、お気に入りで、約6ヶ月間服用された。ある日、耳鼻咽喉科で右耳の検査を受けた際、何と左耳に聴覚が戻っていると先生より告げられたとの事で、顔には、喜びが満ちていた。正に、メイクミラクルであった。患者さんからして見れば、便秘薬が、失音した耳を治す訳がないと思われても、仕方がないのだが、私からすれば、地黄が効いたと確信を持っている。
次の事例は、奇跡でも、奇跡的でもない。正に、理法方薬通りに、事はすすんだもので、西大津から口込みで来店された、6才の女の子、Yちゃんの話である。滲出性中耳炎がこじれ、それも悪い事に、両耳であった。主治医からは、聴覚を失う可能性が高く、次回、来院時に、将来の事も含め相談しましょうと言われ、両親の悲嘆ぶりは、相当深いものであった。問診のテーブルに母親と共に坐ったYちゃんは、耳が聞こえない為か、全くの無表情で、何を聞いても、返事は、返ってこなかった。家から持参した絵本を大人しく読んでいる。待ち合いコーナーに坐っている筈の父親は、娘の一大事さから、母親の背中越しに、母親の言葉に、被せんばかりに、アーダコーダと伝えてくる。 私の娘が、幼い頃、私も、同じ様に、家内の背中越しに、アーダコーダと言っていた事を思い出していた。取り敢えず、柴建湯を14日分渡し、何も悲観する事はなく、現代医学的には、打つ手はなくても、漢方で治る可能性は、充分ある旨を告げ、コンプライアンスを守る事を約束した。果して2週間後、食欲も出て来て、元気になって来ており、耳も、何となく良さそうに思うとの事だので、更に14日分、同処方を渡す。今度は、ほぼ、完璧に、聴覚が戻っていた。念の為、更に、分2で良いからと言って、42包投薬し、治療は、無事、終了した。そして、今、その弟のY君が、柴胡清肝湯を、未病を治す意味合いからも、ボチボチ服用している。
平成3年から、県薬主催の漢方勉強会が、月1回のペースであった。講師は、故青木馨生先生である。宮本武蔵の崇拝者ともとれる程、よく武蔵の話しをされた。その訳は、漢方は、勘が大切であり、切磋琢磨し、生活を律し、養生をしなければ、患者さんの証は、不可解であるとの理由からであり、宮本武蔵の生き方が、一番良いとの思いがあったからであろう。勉強会が終わったある日、一人の先生が、質問された。それは、定年退職された男性の耳聾の治し方であったが、先生は、その患者さんの職歴を聞き、それは難しいナアーと一言話されただけで、その質問の答えは、終わってしまった。何故なら、その患者さんは、一生の音を、仕事の関係上、既に聞いて仕舞っているからであると・・・。今、思い起こして見ると、あなた達のレベルでは、先ず、無理であろう事を心の中で、呟いておられた事と思っている。
大河の一滴(五木寛之著)の中に、書かれているものと、何か通じるものがある。それは、人間始め全ての哺乳類は、一生の間に約5億回の呼吸を与えられているとの記述とである。 人が、音を聞くとは、即ち、鼓膜が振動し、その振動を、3つの小さな骨(つち骨、きぬた骨、あぶみ骨)が順じ、その振動を伝え、最終的に、聴覚神経に振動が伝わり、音として、とらえるのである。私が、近頃、一番危惧しているのが、その3つの小さな骨である。年をとると、耳が遠くなるのも、恐らく関係していると思っている。
人が、この世に生を受け、水穀の気と天空の気から、骨を作り上げて行くのであり、それらの小骨にも、形成と吸収が、繰り返されていて、乳児期-幼児期-青年期-壮年期-老年期と、恐らく、山なりのカーブを画く様に、乳児期は、未来の、輝かしい人生を、見据え、活発な形成を行い、そして、青年期には、ピークを迎へ確かな、小骨を作り上げて行くのであろう。
最近、子供連れの若い夫婦をよく見かける、アミューズメントスペースでは、音楽が、がなり立てている。困ったものである。特に気に入らないのが、ある携帯電話のCMである。場所は、空港のロビー、むずかる乳児に対して、ダウンロードした音楽を、ヘッドフォン?で聞かせている場面である。非科学的な思い過ごしかも知れないが、直接的に、音を照射しており、鼓膜-小骨-聴覚神経とした一連の流れにとっては、強烈すぎるのではないかと感じている。
私の店を立ち上げる時、相談した設計士は、人にやさしく、ソフトな印象を与えるには、直接照明でなく間接照明が良いと言い、間接照明を多用した。 音と光とでは、違うかも知れないが、あながち、そうは、思っていない。屈折を繰り返した光は、やさしさを供って目に辿りつく、音も、同じではないかと私は思うのである。
学生時代、勉強は、二の次と友人に言わしめた程、合唱の練習に時間を費やした私である。客員指揮をして下さった佐々木先生が、よく言われていた言葉を思い出す。人に感動を与えるには、何も大きな声を出さなくて良い、ピアニシモこそ、感動を与えるものである・・・と。
中医学では、腎は骨髄を主ると言っており、五色では黒い物である。市薬会報61号のH先生の色体表では、青のり、もずく、あさり、しじみ、ひじき、納豆、栗、いわし、さば、こんぶ、かに、麦芽等が記載されている。さて皆さんは、今日、昨日の間に、どれだけ、食されたでしょうか。そして、前出の地黄なる生薬の色は、真黒なのである。
(大津市薬会報 2005年1月号掲載)
